11月21日
森下さんはコーヒーを前にストローを口にくわえている。熱いコーヒーは飲めない。ストローからフーフーと息を吹きかけてコーヒーを冷ます。ストローは飲むために使用するばかりでなく、熱い液体を飲みやすい温度にすることにも使う。これも彼の工夫だ。街に出るのは今日が最後。明日はお互い那覇の離れ、家路につく。
私と彼はモノレール安里駅に近い栄町市場にいた。小さな店が軒を連ねる市場内はシャッターの閉まった店が目立ち、人通りは少ない。市場内の小さなコーヒースタンドに立ち寄った後、昼食は市場の外れのコジャレたインド料理店。生まれた初めて食したナンに、「小麦粉か、お好み焼きみたいなもんか」とは彼の言葉だ。
「最終日の今日、実は計画があるんだ」私は“最終日の計画”について森下さんに提案した。「この前の国際通りの単独のショッピングでは、上手く待ち合わせ場所で落ち合うことができなかった」彼が行方不明になり私はかなりパニックに陥り、彼を大泣きさせてしまった一件のことだ。「今日はそのリベンジというかさ、もう一度、国際通りの単独ショッピングをやってみない?」見知らぬ人を知り合うことが彼の旅の大きな目的だ。私がそばにいれば介護者と思われ、彼が人と接する機会は極端に減る。今回の旅行の最後として、多くの人と触れ合う機会を持つのは有意義なことだ、上手く落ち合うことができれば私の達成感にもつながる。私の提案に「やってみるか…」森下さんは二つ返事で引き受けてくれた。
午後12時40分、私と森下さんは前回と同じ、国際通りの真ん中の“てんぶす前”のバス停にいる。前回の失敗を反省し私の名前と携帯番号を紙に書き、車椅子に据え付けられたポーチの中に入れた。万一、私とはぐれたら、誰かにこの番号に電話をしてもらうよう頼むことを彼に伝えた。「このてんぶす前のバス停に午後3時に待ち合わせよう、いいかい、森下さん、午後3時だぜ」私は待ち合わせの時刻を何回も繰り返した。前回は待ち合わせの時間の勘違いが、失敗の原因だったからだ。
彼と別れた私は1kmほどの国際通りを往復し、市設市場の周辺を散策して午後2時30分にてんぶす前のバス停に到着。国際通りの彼方に目をやると午後2時40分、後ろ向きの車椅子が見て取れた。後ろ向きに車椅子を漕いでいる。黒いTシャツもはっきりとわかる。Tシャツの背中には、私が外にでることで何かが変わるかも?”とプリントされている。午後2時55分、無事てんぶす前バス停に到着。人に頼んで記念写真をパチリとやると、この2時間15分ほどの間に何があったか、スタバに入り話を聞いた。
「まず最初にパンツ屋に入ってパンツを買おうと思ってな」旅を続ける中で、彼が私に丁寧語を使うことも減っている。「そしたら、“あっ、おじさん”って声をかけられて。前の時にコンビニで助けてくれた高校生と偶然出会ったんです。向こうが俺のことを覚えていた、嬉しかった」「車椅子単独旅行中なんて掲げて道をノロノロ行く障害者と関わって、すぐに忘れる人間はいないよ」と私。「兄ちゃんが、“次の日、身障者でも店に入れるように入り口にスロープをつけてよって、コンビニの店長に言ったら、スロープは裏口に設けてあるよって”」。
この時点でよくよく話を聞いてみると、数日前に彼が“立ち回り”を演じたコンビニは国際通りの入り口、蔡温橋交差点のローソンではなく、てんぶす前バス停側のローソン国際通り牧志店であったことが判明。先日彼は入り口の2段の階段が上がれず、38人に助けを求めたがすべて断られ、おまけに酒臭い初老の男に殴られそうになった。「兄ちゃんが車椅子を押してコンビニに連れて行ってくれたんです。そしたら隣のビルの奥に行くと本当に段差がなく店に入れる扉があって。この前、俺の車椅子を持ち上げて店に入れてくれたて店員も、裏の入り口のことを気づかなかった。いったいあの大騒ぎはなんだったんだろうと、兄ちゃんと大笑いした」
彼は国際通りをパンツ屋に向かい真っ赤なパンツを買った。「ずいぶん派手なパンツを買うんですね」「俺、こう見えても派手なのが好きなんです」そんな言葉を交わし、店を出た森下さんはドンキホーテを目指す。
「この道は怖い。傍に続く道のところに傾斜があるんです。それも3箇所も」国際通りをドンキホーテに向かっていくと平和通り商店街、むつみ橋商店街、市場本通りと3つの商店街の入り口がある。どの入り口も傾斜になって健常者は気づかないが、車椅子を後ろ向きに動かす重度の障害者にとっては、急峻な崖のごとく思えるようだ。もし車椅子が傾斜を滑るように落ちていったら、何かにぶつかり転倒したり、人に激しくぶつかるかもしれない。
「あの傾斜は怖かったよ…」しかし、前回のショッピングの時もここを通ったはずなのだが。「もう踏ん張る力がない、傾斜に落ちたら足で踏ん張って、車椅子を止める力がない」2週間に及ぶ旅行で、彼は体力をかなり消耗していた。
彼は商店街の入り口の傾斜の前で車椅子を止め、例によって「誰か車椅子を引いてください、お願いします」と、もつれる舌で大声を上げた。道行くほとんどの人は彼を無視する。それが世の中の現実である。最初の傾斜で立ち止まり、車椅子を押してくれたのは中国人の若い女性だった。「中国人は人のことをあまり考えないと言われているけどな、これも人によるな」
次の商店街の入り口の傾斜では、20代の女性が立ち止まり車椅子を押してくれた。「俺の車椅子を見て“一人で旅行されてるんですか、偉いですね”って褒めてくれた。だから、”みんなに迷惑かけて旅行しているんです。沖縄の人はみんな親切です“と、言ったんや」「親切じゃない人もいたじゃないか」と、私。「でも、そう言わんと相手がイヤな気分になるでしょう」そのへんは介護が必要な彼の人に嫌われないための処世術だ。
彼がなぜドンキホーテを目指したかといえば、施設では買い物を職員に頼むと1回650円取られる。この際、必要なものは購入しようという考えからだった。ドンキホーテではパジャマを購入、帰り道の傾斜では50代の女性に車椅子を押してもらった。「“あんた歩けんのに旅行して、私なんかちょっと足が痛いだけで外に出る気がなくなるわ”とおばさんが言うから、“私、生まれつき足が悪いんで、いい時のことがわからないもんで”と、応えた」
「途中のお土産屋さんにキーホルダーがあって。店員のおばさんに沖縄らしいものありますかって聞いたら、このシーサーがいいって。“沖縄では家の屋根にこれを置いて悪い神様を追い払うんだよ”って。だから車椅子に付けた」彼の車椅子の横には可愛いシーザーのキーホルダーが二つくくりつけられ揺れている。
「そのほかに何を買ったの?」「黒砂糖のお菓子、俺甘いもの、大好物だから。和菓子屋の前で“すみません!”と大声を出していたら、店員さんが気付いてくれて店の中に入るのを手伝ってくれた。根岸さん、俺、金、全部使った。お金貸して、後で返す」「国際通りでもう買うもんないって言ってたじゃない」私の言葉に、森さんはいつもの笑顔だ。
約束の時間と場所で、彼と会うことができた。彼が行方不明になった先日のリベンジがかなった気になり、彼を信頼する気持ちが私の中で深まった。森下さんは明日昼の飛行機で那覇を離れ、大阪・豊中空港へ向かう。「今回の16日間の旅行、どうだった?」ふと明日の別れが脳裏をよぎり、そんな質問が口をついた。すると彼は一言、「疲れた」。その言葉がちょっと気になった。「疲れたのは、俺がいたからかよ」と、私は少し口を尖らせた。