第15回、現場検証でわかったこと、そして再び那覇へ

11月20日

 

午前6時、那覇にいる。昨日は移動日で、森下さんをタクシーで空港に送り一緒に昼食をとって別れた。地元の名物のやいまそばと野菜そば、それと彼の好物の鳥のから揚げだ。出されたものは完食するが犬食いは食べる速度が遅い。私は彼と異なり最終便で那覇に戻る。「後は勝手にやってよ、那覇で会おう」食事中の彼に声をかけ私は席を離れる。町に戻るバスの時刻表を確認すると、彼の様子をそっと伺った。

昼食を食べ終えた彼は「すみません」と、いつものようにもつれる舌で誰かに声をかけ、食器を返却口まで戻してもらったのだろう。航空会社の職員の手で、車椅子から搭乗のための専用の車椅子に移され、どっしりと落ち着いた様子で目を閉じている。介護者がいないと、障害者は健常者が重たいものを持ち上げるぐらいの力を四六時中使わなければならない。彼がよく居眠りをしているのは、それだけ疲れるからであろう。

出発まで時間がある私は、バスで町中に戻り森下さんが昨日、歩いたというコースを検証してみた。彼が服を買いに行ったしまむらは、宿泊先のホテルから5kmほど離れた真栄里(北)という交差点の近くにあった。道路の隔て隣が石垣島で最も大きいマックスバリュやいま店、彼は昼食をとったのはミスタードーナッツではなくモスバーガーだ。彼は黒ブタだと主張したが実はヤギで、真栄里の交差点からヤギ小屋まで250mほど離れている。彼は道路を渡り、250mを往復したことになる。

しまむらで彼の対応した神田さんという女性店員に話を聞くことができた。「車椅子の単独旅行と書かれていたから、すごいなと。個人的なことですが、私の父が今年6月に脳梗塞で倒れまして。車椅子での生活ですが、両手両足も自由になりません。彼は不自由な体でも、旅行をして前向きに生きている。父も彼のように頑張ってもらいたいなって、勇気をもらいました。また石垣島に来てくださいと伝えてください。その時はゆっくりと話したい」そう語る彼女の目は心なしか潤んでいる。森下のおっさんの一人旅、それは袖すり合う人にポジティブを振りまく旅でもある。

「お父さんは何歳ですか」私の問いに「65歳です」と女性店員は応えた。「じゃ、車椅子の彼と同じ歳ですね」「えっ、もっとずっと若く見えました、30代かと思った」そんな言葉に、私は軽い嫉妬を覚える。重度心身障害者は若く見られるのか。それともあのおっさんが年齢不詳なのか。

 

森下さんが、今いる施設に入居したのは26歳の時だった。鳥取と兵庫の県境の田舎町の実家は農業を営む旧家で、地域は古い因習が色濃く残っていた。家には弟も妹もいる、障害者は家から出ずに家族が面倒を見るのが当たり前だ。弟が結婚して嫁が家に来た。若い弟の嫁さんに面倒を見てもらいたくはない。「お前の世話は一生この子がするから」「お兄ちゃんの面倒は私がする」父親も妹も言う。しかし、長男としては自分のために妹の人生を犠牲にさせるわけにはいかない。「自分でどう生きるかを考えろ」が口癖だった厳しい祖父はすでに他界した。祖父が生きていたら賛成したかもしれないが、祖母も両親も家族全員が施設に入ることに反対した。何より世間体というものがある。だが、彼は反対を押し切り施設に入居した。

 

「でも施設の中で一生、暮らすのは嫌や、俺にもできることがあるのと違うかなと思って」

彼が子供の時、祖父母といろんなところに旅した。「身体の自由ができないこの子を、せめて私たちが元気なうちにいろんなところに連れていこう」そんな祖父母の思いからだった。学校に行ったことがない彼は、いろんな人と出会うことができた祖父母との旅行が大切な思い出として残っていた。旅行がしたい。しかも自由になんでもできる一人旅がしたい。介護なしでの食事、トイレ、風呂、着替え、それらが自分でできるように練習した。彼が一人旅を敢行するまで、10年間のトレーニングが必要だった。

彼は年金生活者である。施設の費用等、必要な費用を差し引き節約すると、月に1万円程度残る。その金を貯めて1年か2年に1回程度、1週間ほどの旅行を続けてきた。1年以上前に東京と東北を旅行した。沖縄に行くには費用が足りない。だが、体力的に衰えを自覚している。16日間という長い旅行ができるのは多分、これが最後だ。施設に入って38年、初めて旅行資金を弟に借りた。3歳違いの弟は兄貴の頼みを快く引き受けた。妹は兄の影響から、現在ヘルパーとして働いている。すでに両親は他界したが、兄妹仲はいい。障害者でも長男としての威厳はある。

 

さて、今日は沖縄旅行の最終日だ。明日、私たち変なコンビは解散しそれぞれの日常に戻る。今日、私はちょっとした計画を立案している。それは敗者復活戦のような意味合いも含んでいる。絶対に成功させたい。そのチャレンジについての詳細は明日のブログで。

 

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