第10回、「俺は障害者やけど男や」そんな彼に私がしたこと。

11月15日

国際通りを逸れて市場通りを行くと、公設市場がある。那覇市の台所だ。ズラッと並ぶ魚屋で買った食材は、2階に何軒もある食堂で調理してくれる。市場の魚屋で500円の刺身の盛り合わせを買って2階に上がった。食堂で注文した沖縄の豚骨、「てびち」、お好み焼き風の「ヒラヤーチー」「イカ墨の青菜炒め」

「どれも初めて食べた、今日のことは一生の思い出や。根岸さん、有難う」森下さんがそこまで感動したのは、初めて食した沖縄料理だけではなかった。

これを書くべきか私は悩んでいる。しかし避けては通れないことだと覚悟した。

彼は独身である。一度も結婚したことはない。還暦を過ぎて人生で恋い焦がれる恋愛をした。40近く歳の離れた福祉関係の女性だった。これが人生で二度目だという。口にペンをくわえ、キツツキのようにキーボードを叩いて記した彼の文章には「“好きだ”“愛している”とは言えるが、その先の言葉が言えない。言語障害だから。神様、望みが叶うなら好きなあなたと腕を組んで歩ける足と、君を抱きしめる腕とプロポーズが言える口が欲しいです」とある。

その女性はすでに同じ福祉関係の若者と結婚し子供が生まれて、森下さんは先日、赤ちゃんのおもちゃを出産祝いに贈ったそうである。

「根岸さん、折り入って相談がある」一昨日、名護から那覇に向かう車内でそう声をかけられた。

「何?」「女性が優しくしてくれるところに連れてってくれないかな」「お前、そこまで俺が面倒を見るのかよ」「すみません、イヤならいいんです」

「だいたいさ、施設で暮らす重度の身障者が努力をして一人旅をしている。これは美談だぜ。旅先で犬食いをしていると、それを見て涙を流す女性がこれまで何人もいた、昨日もホテルのレストランで朝食を犬食いしていたら、若い綺麗な女の子が話しかけてきて、泣き出したそうじゃないか。そういう人間はさ、女性が優しくしてくれるところに連れて行ってくれとか、不純なことをふつうは言わないもんだぜ」これはシリアスとジョークを織り交ぜた、私のトークだ。

「ふつうは言わないのか、でも、俺は……、障害者でも男や。年に1回程度の旅で、親しい人と知り合った時にしか頼めない」

私は何度も彼の言葉を胸の内で反芻した。さて、どうするか。

これは無下に断れないと言う思いが私の中で勝った。男として友人として、彼の“お願い”が切実に迫ってくる。普段は施設の二人部屋で、寝たきりの「バーカ」としか言葉が言えない男性と暮らしている。日々、旅での思い出を噛みしめるように生きている。

法にも触れることだ、差別と戦争は最も憎むべきものだと、私は日々自分を振り返ってもいる。これからやろうとしていることは女性に対する差別にあたるかもしれない。連れて行った私が悪い。非難は甘んじて受けねばなるまい。

私は車椅子を押し、那覇市内の一角を歩いている。夜になればネオンがズラッときらめくのだろうが、真昼間は人通りも少ない。こういうところに来るのは生まれて初めてだと森下さんは言う。一軒の店の前に肌の浅黒い、いかにもウチナンチュウという感じの男性がいる。

「大丈夫ですか?」「どうぞどうぞ」「優しくしてくれる人、お願いします。彼、けっこうナイーブだから」「それはもう間違いないですよ」男性の手を借りて車椅子を一回の待合室に運ぶ。

男性に指定された時間に駐車場から車を出し、店の前に横付けにして車椅子から車内へと移った。「女の子にお礼を言っておいてください」私が店の男性に告げると、笑顔で頷いた。

「根岸さん、俺死んでもいい……」

車を走らせると、開口一番彼はそう言った。感激屋の森下さんもこの形での初体験は至福の時だった。以下は彼から聞き取った、大地喜和子を若くしたような女性とのやり取りを会話の形で紹介する。

「ごめんなさい」「なんで謝るんですか?」「だって、こんな身体で俺みたいのイヤでしょう」そう言うと女性はニコッとしたそうだ。「お客さん、言葉がうまく言えないのによくしゃべりますね」「訓練だから、毎日、しゃべる訓練をしています。もっとうまくなりたい」「私、しゃべらん人が嫌いです。何を考えているのかわからんからね」

「普通、介護の人とかがついてるのに、お客さんは一人で旅しているんですか」「管理された旅は面白くない、一人で旅していろんな人と知り合っていろんな体験をしたいんです。福祉に人と一緒の旅だったら、ここにも来れなかった」

マットの上で身体をきれいに洗ってくれ、服も着させてくれた。

「今日はありがとう」最後の女性がそう言った。「なんであんたがお礼を言うんや?ありがとうを言うのは俺の方です」「いえ私です。沖縄に来てくれて本当にありがとうね」

上記したこと以外のことを私は聞いていない。あとは私も想像するし、文章を読む人も想像を膨らませてほしい。

 

ちなみにこのことを公開するにあたって、森下さんの了解を取ってある。