第9回、那覇へ、飛ぶ鳥後を濁さず、そしてトイレその2

11月14日

名護から再び那覇へ、「施設のヘルパーさんが沖縄のハンバーグは美味しいと言っていした」そんな森下さんのリクエストで、夕食はホテルに近い国際通りのステーキハウスで、アグー豚の250gのハンバーグステーキを注文した。アグーとはアグネ島に残っていた沖縄在来の黒豚だそうで、これが美味しかった。慌てて写真を撮ったのでハンバーグがちょっとかけている。野菜ものは独特の苦味があるゴーヤチャンプル、なぜか沖縄で飲むオリオンビールはうまい。生はストローで飲んでもうまい。

13日は名護から再び那覇に移動。移動の途中もあれこれ寄りたいと思うのは、数年に一度、短い期間しか施設を出て旅することができない彼を思ってのことか。それとも私がいろいろと見てみたいからなのか。
森下さんにあれこれしてあげたいという想いは私の中で日ごとに増している。
移動の途中で沖縄の古民家や民芸品、伝統芸能等を楽しめる「琉球村」というアミューズメント施設に立ち寄った。障害者と同行者1名は入場料が半額の1200円。ちなみに昨日訪れた美ら海水族館は二人とも入場料は無料であった。
左足の膝と足首とつま先を使い、車椅子を前向きに坂道は後ろ向きにして進む森下さんだが、右膝に痛みを感じている今は、右のつま先に力が入らず、車椅子での移動が遅くなっている。自然、私が車椅子を押すことが多くなるのだが、今日はアミュージメント施設の中で車椅子の彼は全く動かない。顔を覗き込むと居眠りをしているようだ。
「すみません、昨日、2時間しか寝てないもんで」「でも、夜、ホテルに送ったのは7時頃だったぜ」
彼が言うにはそれから部屋に戻って、トイレ、シャワー、着替え、汚れた服の梱包。梱包の理由は、着替えを事前に宿泊先に郵送し、汚れ物は施設に送り返す。大きな荷物は持たないのが彼の旅行だからだ。
極度の“五体の不満足”の身体でこれらを全て一人でこなすのは至難の技だし、徹夜に近い作業になる。さらに「使ったコップも片付けてベッドもちゃんとしました」「何で?」ベッドメイキングは当然、ホテルの仕事だし、この日はチェックアウトの当日だ、そんなことに動力を使っても無意味ではないか。
「自分でしたことはちゃんと片付けなあかんって、おばあちゃんに教えられた。飛ぶ鳥あとを濁さずって言葉も、おばあちゃんに教えられました」
森下善和さんは生まれた時から障害者である。鳥取と兵庫の県境の土地で生まれ育った。彼は障害者支援学校の類には一切、通ったことがないのだ。厳しかった祖父に読み書き、足し算引き算、掛け算割り算を教え込まれた。漢字は少年漫画誌の漢字のルビを見て覚えた。優しかった祖母が中心となり、人の道や常識を教えられた。その詳しい事情は次回以降に記す。

左手の指は健常者の半分ほどの自由がある。右手の指もそうだ。左手の手首は前後に動く。腕も肘も自由はない、これら手の機能をフルに使い、七転八倒して着替えをする。「腕に袖を通して口も使って服を下ろして。半袖だったらまだいいんです。長袖は辛い。倍時間がかかります。夏汗をかいてTシャツが体に張り付いているとなかなか服が脱げない。夏も苦手です」
そして時間がかかる大変な作業が大便だ。まず、洋式便所に向かい合う。縦の鉄のバーを左手で握り満身の力を込めて車椅子から立ち上がる。別のバーに右手をつかむ。「手首は使えんけど、右手の力は強いよ」わずかに横に体を動かし、できるだけゆっくりとトイレの床にお尻をつける。それから上記した両手の機能をフル動員して少しずつ、ズボンとパンチを脱ぐ。それは健常者がとても重たいものを持ち上げる時のような力が必要だ。
時間を費やしズボンとパンツを脱ぐと、鉄のバーを左手で握り体を浮かせて便器に移る。問題は用を足した後だ。
「トイレットペーパーを引き出して左手で握る練習をしたんですが、どうしても俺の力ではトイレットペーパーが握れんのですよ」トイレットペーパーを左手に塊のようにしてたくさん握らないと、お尻を拭くことができない。これを克服するために森下さんはどうしたのか。
「指が使える、左手の親指でトイレートペーパーを引き出し人差し指と中指、薬指を使ってジグザグにトイレットペーパーを折るようにしていく。その方法だと、左手にトイレットペーパーを貯めることができるんです。左手にたくさんトイレットペーパーを貯めることができれば、それを股に持っていく」

話を聞いた後、私は言った。
「森下さん、何かとても失礼なことを聞いてごめんなさい」「いや、ここまではっきり聞いてくれたのは根岸さんが初めて。みんなこんな身体で一人旅なんてすごいとか、感動したとかきれいごとばかりで、本当の努力を知らない」
自分で大便をする、そのために要となるトイレットペーパーを左手の中にたくさん握れるようになるためには、膨大な反復練習が必要だった。
「はい、完璧にできるようになるまで、10年かかりました」
「1人で用を足せるようになって、健常者のように一人旅に出ることを計画しました。だって、旅先で誰が俺のケツを拭いてくれますか」
私はしばし黙った。込み上げてくるものがあったからだ。その感情が少し落ち着いた時、息をゆっくり吐くように言った。
「森下さん、本当に施設から出て旅がしてみたかったんだね……」
「へへっ、わかってくれますか……」
森下さんは笑っている。それが彼のいつもの表情だ。その顔から、ポロっと光るものが溢れた。