人は思い描いたように生きられるものではない。壁にぶつかり思い悩む。だが、自分の意思や夢は誰に肩代わりしてもらうわけにいかない。訳ありの事情を背負った若者が、ぼんやりとでも目標を見定め歩き出し、徐々にはっきりと自らの道を自覚していく。本企画、「Re:start」ではそんな若者を紹介する。自ら選んだ就活で社会人として踏み出し、何かを見出した若者の人生にうなずき、静かに拍手を贈る企画である。
シリーズ第4回、マテリアルワークス株式会社 営業部池田将さん(22)、入社は今年8月。マテリアルワークスはプラスチックやゴムの素材を中心に扱う商社として、国内外の大手メーカーと取引している。社員は15名ほどだが、年商はおよそ50億円もある。
高3で負った心の傷
東京・練馬で育った池田さん、小、中学校では水泳や野球が得意なスポーツ好きな少年だった。格闘技ファンで内装関係の自営業の父親の勧めで、中学時代はフルコンタクトの空手で鍛えたが、温厚な性格の好青年である。
「都立高校に進学し、大学受験を目指して高2の冬から受験勉強をスタートさせました。高3の予備校の夏期講習にも通い、大学受験の準備を着々と進めていたのです。ところが人生を変えるアクシデントが起こったのは、高3の2学期でした。
9月の体育の授業の時でした。同級生にいきなり後ろから蹴られたんです。
サッカーの試合で僕のプレーが気に入らなかったようです。ハンパな蹴られかたではなかった。痛みがひどくて医者に診てもらったら、アバラ骨が折れていると…。
「キミもサッカーの時はラフプレーをしたみたいだし、相手も悪いがキミにも落ち度が あったんじゃないか」
学校の対応はそんな感じでした。警察にも相談したのですが「学校内の授業中に起きた出来事だし…」と、警察官は親身になってくれない。
その時の心の傷は癒えることなく、現役の時は受験どころではなくなってしまい、浪人しました。しかし、アクシデントが尾を引き、いくつかの大学から合格通知を頂いたものの目標としていたランクの大学にはとどかず…。両親と相談して二浪したのですか、勉強に身が入らず挫折してしまいました。
警察官という新たな目標
さてどうするか。僕にとって高校時代のアクシデントの影響は大きくて、あの時の警察官の対応も納得できるものではありませんでした。人生にあの時の経験を生かそうじゃないか。被害者の立場に立ち、親身に接することができる警察官を目指そう。そんな思いを抱いて、公務員課程のある専門学校に入学したんです。
専門学校では、高校を卒業したばかりの2才下の同級生がほとんどでした。最初は同級生が子供っぽく見えましたけど、そんな見方は徐々に変わりましたね。例えば僕が通っていた専門学校では毎年、スタジアムを借り切り体育祭が行われます。その体育祭の実行役員を率先して、引き受ける同級生がいました。
大玉転がしとかをやるのは、恥ずかしかったのですが、「手を抜くな!!」教官にはかなり厳しく言われて。体育祭は何事にも真剣に取り組むという精神を鍛える意味があったのでしょう。体育祭の役職を率先して引き受ける人間は、どんな仕事も一生懸命に取り組むことができる、そんなスピリットに満ちていると感じました。毎晩のように学校が閉まるギリギリまで、コツコツと勉強している同級生もいました。
専門学校の2年間は、年齢で人を見てはいけないということを実感させられた経験でした。公務員の試験の勉強はしっかりしましたし、もちろん、警察官の採用試験に合格する自信はありました。事実、二つの県警を受験し一次試験の筆記は両方ともパスした。
合格して警察官に任命されることは、まず間違いない。警察官の制服に身を包んで、バシッと背筋を伸ばし、敬礼している自分の姿が脳裏に浮かんで。大学受験は失敗しましたけど、今度こそ自分の目標が達成できる。そんな思いで胸がいっぱいでした。ところが――一次試験にパスした二つの県警とも、二次の面接を終えた段階で、不採用の通知が届いたのですが、納得できなかった。
問い合わせると、受験した県警の関係者が、不採用の理由を教えてくれました。警察官の採用に当たっての身元調査で、僕自身ではなく、僕も知らなかった我が家の思わぬ事情で、目標としていた警察官への道が絶たれてしまったことがわかったのです。
人生、終わったな……、大学受験の失敗、警察官への不採用、22才で二つの挫折を味わい、僕の中にそんな思いがこみ上げてきました。2ヶ月ほど呆然としていた。でも、これから生きていくためには、なんとか気持ちを切り替えなくてはいけない。
専門学校は目標を達成できなかった学生のために、就職を斡旋しています。事務室を訪ね係りの人に相談し、就職先の案内を閲覧したのですが。スーパーやコンビニの店員や警備員とか……。
そういう仕事がダメだと言っているわけではないんです。ただ、警察官にはなれないという現実を知ってから間がなかったし、専門学校が斡旋する仕事は、どうしても僕の中のモチベーションが高まらなかった。
イチかバチか自分で勝負してみよう。納得して働ける就職先を自分の力で探そう。もう失うものは何もないじゃないか。専門学校の担当者には、「自分で就職活動をします」と、告げたのです。
22才で目標を失う二度の出来事。二つとも彼自身が自ら引き起こしたことが、要因となったわけではなかった。それを思った時、池田さんが「人生、終わった」と立ち直れずにいても、その心情は理解できるというものだ。しかし、池田さんは再び立ち上がり前を向く。そして歩きはじめる。
挫折を乗り越える彼のモチベーションの高め方と、再び目標を見据えるまでの経緯は後編で詳しく。