第3回、床屋と初めての風呂入れ

11月7日

糸満市にいる。私がそばにいると、人が森下さんの周りにこない。「もっと人と知り合いたい」「僕もそう思うよ」そんな会話から、「自由行動の時間」を取ることにした。糸満市内の道の駅で彼を車から降ろし、2時間後に車の前で待ち合わせようと。そして2時間後。

「昼はたこ焼きを食べた」「関西だからたこ焼きと聞くと無視できないんだ」「オキナワらしいものが中に入っているよって」「何」「もずく」「タコも入ってた?」「うん」「美味しかった、たこ焼き屋のおじさんがベンチのテーブルに買ったたこ焼きを置いてくれた、開いてくれて熱いだろうって、たこ焼きを割ってくれました」いわゆる”犬食い”なのでそんな配慮をしてくれたのだ。「水を持ってきてくれて、ストローさしてくれて何かして欲しいことがあったら、声をかけてくれって」

ワゴンで工芸品を売るおばさんとも仲良くなった。ご主人が障害者施設に勤めていた、現在は老人施設で働いているそうで、「障害者は外に出ようとしない。出る気も起きないらしい、あんた偉いねって、何も考えてないだけですと言ったんです」

「いい人ばかりだね」と言うと、いつもの笑顔で(笑顔のように見えるだけで、彼はこの顔しかできない)こんなことも言った。「いろんな人がいます。昨日のホテルで朝ごはんを食べていると、”そんな風にしか食べることができないのに、よく旅行したいなんて思えるね”って、おばさんにこそっと言われた。付き添いもいない、周りに誰もいない時を狙うようにしてそう言う。人間いろいろです、それがわかるから旅は好きです」

道の駅の後は床屋に行った。前髪が薄い森下さんだが、髪が伸びたのが気になっていたそうだ。「人と出会う旅なんだから身だしなみも大切だね」「はい」「ここにいるから、自分で床屋さんに入りなよ、入れてくれなかったら別のところに行こう」

遠くで見ていると店から出てきた床屋のおじさんが、中腰になって何やら森下さんの話に耳を傾けている様子。無事店内へ。20分後店内にお邪魔すると、「いやね、鏡の高さがあるから散髪台に上がらないと散髪はできないよって言ったんだ。そうした自分で上がるって言うからさ、手を貸そうとしたら”いいです”って怒られちゃってさ。なんとか自分で台に座ったけどさ」

言語障害があるので、必死に訴えようとすると何やら怒ったように聞こえてしまう。「こっから取ってください」トレパンの右ポケットに黒い財布が入っている。おじさんはおもむろに財布を開き、「はい、900円ね」と財布から取り出し彼に見せ、再びトレパンのポケットにしまう。これが彼の支払方法だ。

民宿に戻ると彼を風呂に入れた。身障者の身体を洗うのは生まれて初めての経験だ。少し緊張した。旅行中、自分でできることは自分でやる、いつもは七転八倒して1時間以上かけ、服を脱ぐが、今日はそこまで待ってられない。車椅子から降り風呂場の床に転がる彼の状態を起こしてTシャツを脱がせる。「立たせてください」「立たせる?」「そう」風呂場の壁のタイルに背中をつけるようにして、両脇に手を入れ彼を立たせる。これが重い。「大丈夫か、手を離すよ」「大丈夫です」「このままズボンを脱がせてください」「その次パンツも」

そうか、ようやく合点ができた。立った形がズボンとパンツを脱がせるのに一番早いやり方なのだ。自由いなるのは左足だけだ。右足は若干の自由が効いて踏ん張れる。だから壁のタイルに背中を預けて立つことができる。

背中、前、股間、両足、泡だらけにしてきれいに洗った。頭は耳に水が入らないように手で耳たぶを抑え、ジャンプーで揉むようにして洗った。身体を拭き服を着せるため、再び両脇を持って壁のタイルに背中をつけて立たせる。その時アクシデント、「あれ」彼が滑った。慌てて両脇に入れた手を入れていた私は渾身の力で支えた。滅茶苦茶に重い。腰が……、

「大丈夫って言ったじゃない!」「大丈夫です、ごめんなさい」相変わらず笑顔だ。笑顔ではない、これが普通の顔なのだ。「パンツもっと右に、ズボンもっとあげてください」「いろいろ注文多いね」大汗をかいた私の口からそんな文句も出てくる。

こんな体験をするのも今回、彼と旅する私の一つの目的でもある。

新しいパンツ、トレパン、Tシャツを着せるのに2分とかからない。この時ばかりは有無を言わさず手伝った。彼が自分やるとこの作業に2時間近くかかる。新しい下着は泊まる宿に届いている。汚れた下着は宅急便で施設に送る。身軽な車椅子の旅だ。

「左足はいいんだけど、右膝がね……思っていた以上にね」「大丈夫か」「大丈夫です」使える機能はすべて使う、それが身障者としての彼の心情だ。右足が踏ん張れなくなったら、壁を背にして、あるいは何かに身を預けるようにして、立つことが不可能になる……。