第13回、ずぶ濡れの南国石垣島、何故か塩っぱい

11月18日

石垣島の空はどんよりとしていた。天候には恵まれた今回の旅行であったが、雲行きが本格的に怪しいのは今日が初めてである。午前10時、まだ雨は降りだしていない。「重度身障者の俺が南の果ての島に行った、そのことだけで俺には意味があるんです」と森下さんは言うが、健常者の私は一つでも二つでも石垣島の主だったところを観光したい。

まずバスに乗って、やいま村という観光地を訪れた。やいま村には南米アマゾン流域に生息するリスザルが40頭ほど放し飼いになっている。200円の餌を購入し彼の膝の上に置くと、リスザルが何匹も彼の車椅子に乗ってきた。笑っているような表情がますます、ヘラヘラになる。

車椅子の両脇にはポーチがくくり付けられている。リスザルはポーチを開こうとするが、チャックはしっかり締まっている。ポーチの中にはメモ帳や身体障害者手帳とともに、財布も入っていて、土産物等を購入した時は「すみません、右のポケットに財布が入っていますから、お金を取ってください」と、財布を預ける。旅に出るとそのスタイルで支払うが、彼曰く、いろんな人がいる。大阪では2万円取られたことがあるという。

「リスザルは赤いもんが好きなんや、車椅子の赤いキーホルダーを触っていた」「森下さん、動物好きなんだね」「でも蛇は嫌いや」「俺、蛇、嫌いじゃないよ、性格がさ、蛇に似ているところもあるし」とか、バスの中で取り止めのない話をしているうちに、川平湾に着いた。海の青さを売りにしている石垣島最大の観光スポットだが、バスを降りたあたりから本格的に降り始める。名物のグラスボートにチャレンジしようと砂浜に車椅子をして出たが、タイヤが湿った砂に埋まってしまい、人の手を借りで脱出した。

雨が降ると“身障者の独り旅”はニッチもサッチもいかない。旅の途中で雨に降られた時は、一日中ホテルにいるのが常だと森下さんは言う。土産物屋にたどり着き、軒下で雨宿り。自然と昔話になっていった。

 

8ヶ月の早産で生まれ、母親は彼を出産すると数ヶ月入院生活を送る。「田舎だし昔だから保育器とかないやろ、おばあちゃんが湯たんぽを3つも4つも周りにおいて温めてくれたそうです」頭はまあ、健常者並みだがそれを肢体に伝える能力が欠如した。まともに喋れる力もだ。「肢体が不自由というのも大変だけで、言語障害があるのが一番んきついんじゃないかと僕は思うよ」私の言葉に彼はうなずいた。「俺、言語障害がなかったら、施設に入らず講演でメシを食っていた」

子供の頃は祖父母と一緒に寝ていた。祖父母に育てられた実感がある。育ったのは田舎で特別養護学校まで1時間半近くかかる。彼が子供の頃に送迎バスなどない。実家は農家で常に忙しく両親は毎日、彼を学校に送っていく余裕などなかった。「読み書きや計算ができんと、人に騙される、バカにされる」厳しい祖父が読み書きと足し算引き算を毎日教えた。もつれる舌で“あいうえお”や“九九”を暗唱させられた。漢字は父親が毎週買ってくれた少年漫画誌の漢字のルビを見て覚えた。言語障害を改善したいという強い思いは子供の時から強く、彼は14才の時にアマチュア無線の免許を取得している。アマチュア無線なら、人と話をする機会が得られるし、言葉で意思を伝える訓練になる。

「障害は病気やない、寝ていたらあかん、家族の仕事を見ているのがお前の仕事や」祖父は身障者の彼が横になることを許さなかった。「俺は4人長男で森下家の4代目の長男ですから、見て仕事を覚えれば、弟たちに仕事のアドバイスができるって」

印象深く記憶にあるのは幼い頃、両親も祖母もいない時に3つ違いの弟と兄弟げんかをして「喧嘩両成敗や」と、祖父に雪が積もる外に放り出されたことだ。身体の自由がきかない、雪の中で凍えた、それでも放っておかれた。死にたくない、大声で泣き続けた。その泣き声に近所の人が気つく。後で、祖父は涙を流しながらジッと幼い彼の様子を影から見つめていたと、祖母に聞いた。どんな状況に陥っても、生きる力を教えたかったのだろうと彼は振り返る。

「どう生きるか、自分で考えろ、自分の力でできないものは人にやってもらえ。“森下、手伝ってやろう”と、どれだけ気持ちよく人にやってもらえるかを考えろ」事あるごとに祖父にそう言われた。

「その答えはおばあさんが教えてくれた」彼は言った。父母は厳しい祖父とは対照的に優しかった。主に常識や人の道を教えてくれ得たのは祖母だった。「自分のできないことを気持ちよく人やってもらうには、いつもいつも、人の気持ちになって考えなさいって」

川平湾の土産屋の軒下、雨は止みそうにない。帰りのバスの時刻が迫っている、傘をさしてバス停に向かう。彼が濡れないようにと傘を車椅子の前に出すが、ほとんど意味をなさない。私も森下さんもずぶ濡れだ。なにやら塩っぱい南国石垣島だ。

 

実の母親のこと、あまりあったかい感情を抱いていないという。彼はなぜ施設に入居したのか。今回の旅行の費用はだれが出したのか。“犬食い”でも介護なしで、自分で食事ができるのは施設で彼だけだという。そもそも森下さんのように、自らのハンディキャップを少しでも乗り越えようとする努力する障害者の姿は、美談として取り上げられてもあまり耳にしない。その理由についても知りたい。

聞いてみたいことは尽きない。