■あなたの知らない若手社員のホンネ~スリーエムジャパン/小野岡圭太さん(28才、入社5年目)
若手社員の仕事へのモチベーションの熟知は中間管理職にとって、職場での人間関係を円滑にする必須条件。また、若手社員にとっても同世代が、どんな仕事に悪戦苦闘しているか、興味のあるところに違いない。バライティーに富んだ職種を紹介してきたこの企画、今回はアメリカ・ミネソタ州に本社を置く3Mである。
シリーズ36回目、スリーエムジャパン株式会社(以下•3M)コンストラクションマーケット事業部マーケティング部 小野岡圭太さん(28)入社5年目だ。3Mは世界的な化学・電気素材メーカー。他に医療、工業用品、各種接着剤、接着用テープ、張付フィルム、付箋紙をはじめ文房具等々、製品の数はおよそ5万5000にのぼる。
高校時代に日本の自宅に、ホームスティの学生を受け入れ、外国の教育に興味を持った小野岡さん、自らも留学しアメリカの大学で国際経済学を専攻。
初任地の関西は戸惑うことの連続
学生時代は発展途上国の子どもたちが、活躍できる環境づくりの手助けをしたい。日本の文化やテクノロジーを海外に広めることに、貢献したいという思いがありました。卒業間近な頃は、アメリカで起業することも考えたのですが、食べていくのが大変だと。
日本に戻り国際的な起業で働く道もある。雑誌のフォーブスの最も刷新的な企業のランキングに、グーグルやアップルに混じって3Mも挙げられていて。調べてみるとホームセンターには3Mの製品ばかりだ。帰国して留学生採用のためのセミナーを訪れると、たまたま3Mもブースを出していた。興味を持っていた企業だったので話を聞いて。僕の将来的な想いや希望も聞いてもらって。よし!と。
希望していたのは、経営企画やマーケティングだったのですが、最初の配属が西日本販売部の営業、大阪支店勤務だったのでビックリしました。支社のオフィスに通う通勤電車の中も関東より人がせわしなく感じられて、関東育ちの僕は戸惑うことの連続でした。食文化も違っていた。
「昼メシ行くか」定年間近の大先輩に誘われた時のことです。付いて行ったら和歌山ラーメンの店に連れて行かれて。
「ここのラーメンはコテコテで、冷めるとスープの表面に油の膜が張っちゃうんだよ。気をつけないと腹にもたれるし、口が脂でカピカピになっちゃうんだ」ラーメン屋を出た後、そう言っていた大先輩当人の口がピカピカになって、うまく舌が回らなくなっていて。
勤務をはじめた当時は電話でアポイントを取って訪ねて行く、飛び込みの営業を30件近くやりました。当時は「3M“VHB”テープ」という、家電の異種素材同士の接合や、海外ではカーテンウォールといって、建物の荷重を直接負担しない外壁の貼り付けに使ったりする、強力な両面テープをセールスしていていました。
「ごめんください」
「何しに来たん?」
「電話でお話した強力な両面テープを…」
「両面テープって何するんや」
「溶接やビス留めするところをテープにするご提案で…」
「そないなもん、使こうてどないするんや?」
「どないするのかとおっしゃられても…」
「まあ、ええがな、そこに座り」
うちの商品はニッチな製品に数多く使われるので、商談の相手は中小企業の工場長も多い。話好きで気のいい工場長が多かったのですが、赴任してしばらくは、「そやろ」「こやろ」と繰り出す関西弁が、めちゃくちゃ早くて聞き取れない。英語より難しかったですよ。
ここで、いったい何をやっているんだろう
関東の人間には関西弁の口調が強く感じられて、自然と「すみません」とか言葉が出て。「謝らんでもええがな」と、工場長にフォローされたり。
アメリカ帰りの自分は、関西人の上司にとって扱いづらい存在だったかもしれませんね。
「資料はこれくらいで、いいんじゃないですか」上司と一緒にお客さんを訪問する時、そういうと、「いや、全部持っていこう」と。
「えっ…」アメリカで学んだ効率重視の僕からすれば両手に資料を抱え、お客さんの元を訪れるなんて考えられない。でも、見た目の多さがとても重要だと上司は言うのです。
「お客さんは“おー、こんなに資料を持ってきてくれたのか”と、喜んでくれる。話題に困った時は、“こんなものもあります”と、別の製品を紹介できるし」
郷に入っては郷に従えということわざもあるし、ふつうの関西のお客さんの目線に立って、しっかりと準備することは大切だなと。
飛び込み営業を経験して得るものもありました。公園に設置する遊具を製造する町工場に営業した時は、「滑り台の製造も、この強力な両面テープは威力を発揮します」とか、僕の「3M“VHB”テープ」のセールストークに、「うちは年間で5台ぐらいしか滑り台を作ってへんのやで」と。滑り台の組み立てに採用されたとしても、売上げは5万円ほど。ビジネスのポテンシャルを考えてないといけないと、反省させられたりもしました。
楽器のドラムを製造するメーカーは、飛び込み営業で製品を採用してもらえたんです。ドラムの外側のテープが剥がれる現象が起きる。うちのテープを使って改良できないかと。売上げ的には微々たるものでしたがどのテープが適しているか。自分のデスクに自社製のテープを並べて、カットしたりつなぎ合わせたりして実験していたんです。すると「今までオフィスで、製品を並べて実験しているヤツは見たことがない」と、上司に声をかけられて。「終わったら飲み行くぞ」と。
勉強になりましたが、関西での2年間の営業は、大先輩と一緒に食べたラーメンのように、コテコテだったというか。泥臭い面がありましたね。
「この商品はいくらの特価が出んの?」「もっと安うならへんのですか?」とか、値段に関する電話が代理店から毎日のようにかかってくる。そんな話ばかりだから、代理店からの電話を取りたくなかった時期もありました。
会社を辞めたいという考えが、頭を過ぎったことは何回もありましたよ。入社した時のモチベーションや自己実現のイメージと、実際にやっている仕事が、あまりにも違いすぎるじゃないですか。
オレはここで、いったい何をやっているんだろうと。
大阪支社では2年間勤務しまして、東京の本社のコンストラクションマーケット事業部に配転になったのですが……。
小野岡さんの目標を見定められない状態は、本社に異動になっても続いた。彼はどうモチベーションを立て直し、結果につなげていったのか、それは後編で詳しく。
取材・文/根岸康雄
http://根岸康雄.yokohama