【動物園・後編】「園長として何より悔やまれる昨年の事故、飼育の方法から施設の設計構造まで課題は山積み」多摩動物公園・渡部浩文園長

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開園62周年を迎えた多摩動物公園、その敷地は上野動物園の約4倍である。園内は広く、森林浴をしながら展示舎を見て回れる。動物園のシリーズ、第20回は多摩動物公園の園長を紹介。渡部浩文園長(52)、獣医師である。

東京都衛生局生活環境部に採用された渡部氏、狂犬病予防・動物愛護の業務、食品衛生関係業務等を担当。管理職試験に合格し、都庁の他の部署の管理職を歴任した後、2011年8月に多摩動物公園飼育展示課長に着任。獣医師として、動物園はかねてから携わってみたかった。飼育・展示のマネイジメントが飼育展示課長の主な仕事である。

多摩動物園時代は、タスマニアデビルの導入に尽力。上野動物園では飼育展示課長として、ジャイアントパンダのシャンシャン誕生と一般公開まで、現場責任者を担った。2017年6月12日、上野動物園では29年ぶりのパンダの赤ちゃんが誕生。

赤ちゃんパンダのリスクはいろいろ

「多くの人たちが期待する中、無事に生まれたことは感慨深かったです。ホッとしたのは一瞬でした」

――12年のパンダの赤ちゃん誕生では、6日後に死んでしまいました。その轍を踏まないために注意を払ったことは?

「まず、育児放棄が心配でした。パンダの赤ちゃんはネズミぐらいの大きさで、皮膚が弱い。お母さんのシンシンが赤ちゃんを舐めることで、感染症を防いだりケアができます。それを人間がやるとなると、かなり難しい。

育児放棄のリスクは離乳するまであります。どんな状況にも対応できるように、赤ちゃん誕生の前と同じく、飼育に携わった5人の担当の職員と動物病院のスタッフで、24時間の観察体制を整えまして。母乳がしっかり出るよう、シンシンの栄養状態のケアにも気を配りました」

――育児放棄の他にリスクをあげると?

「何せ赤ちゃんは小さい。職員が常に檻の傍らで観察し、母親が赤ちゃんを潰さない位置にいることを確認して。シンシンがウトウトした時に、へんな位置で赤ちゃんを抱いていたら、近づいて親を起こしたり。観察する飼育員は1分ごとの子供の位置や、授乳の時間を逐一記録しました」

“トラの岩戸”とライオンバス

出産前から出産後も含め、緊張を強いられる観察体制は10ヶ月ほど続いた。この間も渡部氏は飼育員の熱意に頭が下がる思いだった。出産から3ヶ月が過ぎると、シャンシャンは成長し、シンシンが四六時中抱っこすることもなくなり、潰される心配は遠のく。一般公開がはじまったのは、2017年12月19日だった。

「来園者も爆発的に増えて、その対応で多くの部署の職員が駆り出されましたが、シャンシャンを目にしたお客さんが、パンダ舎からニコニコして出てくる。“よかったね”“かわいいねー”という声をたくさん聞けて。掛け値なしに、人に喜んでもらえる仕事はそうないと、今更ながら動物園の仕事をしてよかったと思いました」

飼育展示課長へて、上野動物園副園長のポストに就いた渡部氏が、多摩動物園園長に着任したのは2019年4月だった。

群れで暮らす野生動物は極力、群れで飼育し展示する。それは開園当時からのコンセプトだが、渡部園長は多摩動物公園らしさを饒舌に語る。

「“柵がない動物園”というのもコンセプトの一つで、例えば開園当時からあるトラ舎の展示は”トラの岩戸“と呼ばれていて。柵がなく、6m幅の堀の先の切り立った山のような林で、アムールドラが生き生きと動く姿が観察できます」

現在運休中だが、多摩の名物で年内のリニューアルオープンを目指すライオンバスは、50年近い歴史がある。「ライオンバスも柵がない展示の一つです。当時、国内にサファリパークはなかった。ライオンバスには餌の肉がついていて、ライオンが近距離で見られる。都市型の動物園としては、世界初の試みだったと資料にあります」

ゾウは床がコンクリートだと、爪のトラブルを抱えやすい。現在、工事中のアジアゾウ舎は床に1m50㎝ほどの厚さで砂を入れた。広いゾウ舎は、ゾウが部屋と放飼場を自由に歩き回れる。開園当時から60年以上、飼育されているオスのアジアゾウのアヌーラは、すでに広い新展示舎に移り、元気に暮らしている。

多摩動物公園の大きな可能性と期待

多摩時代はタスマニアデビル導入のきっかけ作り。上野ではジャイアントパンダのシャンシャンの出産から展示まで、無事大役を果たした。渡部氏は順風満帆にポストを上り、園長に着任と傍目には思えるが。

「園長として何より悔やむのは、昨年8月に起こった不幸な出来事です」と、渡部園長の顔が曇る。

昨年8月26日付の新聞各紙は、多摩動物公園のインドサイ舎の檻の外で、ベテラン飼育員が倒れているのを発見。搬送先の病院で死亡が確認されたことを報じている。飼育員の事故死は開園以来、61年の歴史の中ではじめてである。飼育員の傍らにはサイの皮膚薬の軟膏があったと、新聞記事は報じている。檻越しにサイに薬を塗ろうとして、事故にあった可能性も考えられるが、警察の捜査は継続中である。

園と、園の管理業務を担う公益財団法人東京動物園協会で、再発防止のための検討会が開かれた。多摩動物公園、そして上野動物園のとりわけパンダの繁殖では、動物に情熱を注ぐ飼育員の姿に感銘を受けた。だが、飼育員の事故は渡部園長に重い課題を突きつけた。

今回のサイの飼育員が、どう動物に接していたのかは、監視カメラがないので定かでない。飼育動物との信頼関係を作ることは重要だ。飼育員は当然、動物との距離感が大切なことはわかっている。だが気付かずに、飼育動物に近づきすぎて事故を招いたのかもしれない。ルールとして書かれていないこと、飼育員が経験をもとに行っている日常的な飼育作業を、一つ一つ整理する必要があるのかも知れない。

「二度と事故を起こさないためには、飼育の仕方や施設の構造も含めて追求し、危険がないよう備えていかなければ……」渡部園長は重たい口調でそう言うと、窓の外に目をやる。

園長室に隣接する会議室の窓一面に、多摩動物公園の緑が広がっている。「家族連れが安心して、1日かけてゆっくり楽しめる。都心に近くて、これだけの自然を満喫できるところはそうありません」渡部園長はこちらを向き、張りのある声で言った。

どんな動物を見ても驚きがある。動物園では動物のすごさを体感できるが、「それだけではありません。例えば子供が動物の絵を描く。赤や青の柄のキリンがいてもいい。自由に描き、それをきっかけに絵の楽しさに気づくかも知れません。自然を感じて自由な気持ちで、いろんなことに興味を持つきっかけになってほしい。動物園は楽しいところですよ」

より安全な飼育という深いテーマの追求とともに、渡部園長は多摩動物公園への大きな期待をアピールするのであった。

取材・文/根岸康雄
http://根岸康雄.yokohama