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動物園のシリーズ、第18回目はサル山のニホンザルである。開園61周年を迎えた多摩動物公園は、上野動物園の約4倍の広さである。群れで暮らす動物はできる限り野生に近い群れで飼育をする、それは多摩動物公園の一つのポリシーである。現在、サル山の群れの数は68匹。
由村泰雄飼育員は上野動物園と多摩動物公園で、アジアゾウ、アメリカバイソン、インドサイ等の飼育と並行して、延べで23年ほどサル山のニホンザルの飼育を担当している。
約4万頭の野生のニホンザルと共存するには
「エサはリンゴ、オレンジ、サツマイモ、大豆、小麦、米、ニンジン、竹、シラカシ、アラカシ、ヒサカキ、キンモクセイ、ケヤキ等です。
ニホンザルに触ったり、手からエサをあげるのはよくないことですね。サルが人間を怖がらなくなる。例えば、日光でのサルの被害が大きく報じられていますが、あれも近づいたサルを追っ払い、遠ざけるようにしていれば今のような問題にはならなかったでしょう」
ところが観光客がエサを与えてしまい、サルが人間を怖がらず近づくようになってしまった。観光客の身勝手なエサやりが、野生のニホンザルと人とのトラブルの原因を作ったと指摘する専門家は多い。
日本国内には約4万頭のニホンザルが生息していると推測されている。
「それらと共存していかなくてはいけない。そのためにはお互いに生活権を侵害しない。“サル追い”といって、犬を利用して人里から山にサル追っ払ったり。一見、かわいそうに見えても、“サル追い”はいいことです。
猿回しのような伝統芸能を否定しませんが、それと野生のサルにエサを与えることは、まったく違う。可愛いからと、サルにエサを与えて人に慣れさせるのは、むちゃくちゃに危ないことです」
「子ザルはひときわ可愛い」が…
サル山の飼育では、常にニホンザルと距離を保つ。自然に近い形でサル山にニホンザルの社会が再現できればいいのだ。毎年数匹生まれる子ザルの名前付けは、その年ごとにテーマに沿って、例えば“ご飯のおとも”なら、「ラッキョウ」「イクラ」「メンタイコ」「アオノリ」「フリカケ」と、名付けられる。だが、
「サルは自分の名前を認識していませんし、僕らも日常的にそれぞれのサルを名前で呼んだりはしません」
とはいうものの、個人的な思いを言えば、
「たくさんいる動物園の動物の中でも、ニホンザルの子供はひときわ可愛いと思います」と、由村飼育員のサル似の顔がふと、ほころぶ。
ニホンザルは好奇心旺盛で人懐こい。サル山を掃除する時など、子ザルも親ザルも近づいてくる。由村飼育員としては時に心を鬼にして、サルを寄せつけないようにしている。
――例えば、近寄ってきたサルに“あっち行け!”とか、竹ホウキを振り回したりとか。
「そんなことはしませんよ。ニホンザルが近寄って来なくする方法がいくつかあるんです」
――それはどんな方法ですか。
「例えば、近寄ってきたサルの目を見る」
飼育員が目を見ることで、“これは何かあるな”とサルが認識し、飼育員と一定の距離を空け、それ以上は近づいてこない。ちょうどいい距離感を保つことができるという。
人間社会にも通じるサルとの距離感
「お互いに心地いい距離感を見つければいいんです。掃除や給餌等で飼育員がサル山にいても、敵ではないと認識してくれればそれでいい」
“お互いに心地いい距離感”、由村飼育員が語るニホンザルの飼育の考え方には、人間社会をうまく渡っていく上でも、相通じるところがあると感じた。
「僕ら飼育員は、サル山のニホンザルの群れの生態と行動を観察しています」
サル山の68頭のニホンザルを、彼を含め2名の飼育員で世話をしている。サルだけではなく、由村飼育員はバードケージ、カワウソ、アナグマ、コウモリ、魚類、ヘビの飼育の手伝もしている。
そして、サル山の日々の管理は尋常な仕事ではない。弱いサルも餌が十分食べられるよう、細かく切った餌の準備をして。サル山のニホンザルの中には、毛づくろいのやり過ぎが原因で、毛が抜けて過ぎて赤い地肌が目立つ個体もいる。なるべくサルを飽きさせないよう、またすべてのニホンザルに行きわたるように、日に5〜6回、餌をサル山に均等にまく。
掃除も重労働だ。サルはそこら中に糞をするから、雨の日でも幅22m長さ36mの楕円形のサル山を、掃除道具を手に歩き回らなければならない。
「遠足でサル山に来た子どもが、“臭い”と言うのはいいんですが、先生まで“臭い”と言うのはどうかなと思うんです。動物園が臭いのは当たり前ですから……」
生き物には臭いがある
“万物の霊長”である人間はすっかり清潔になり、においなどしないと思い込んでいるのだろう。だが本来、生き物にはすべてにおいがあるのだ。由村飼育員が語るとおり“動物園が臭いのは当たり前”だ。
普段、接することがない動物のにおいを感じ、生きていることを実感してほしい。それも動物園ならではの体験だ。飼育員の言葉には、そんな思いがこもっているのだろうと、私は感じた。
現在、多摩動物公園のサル山の最年長は、メスのミドリで33才。ニホンザルの寿命は長生きしても30才ほどだという。
「サルを含めて、担当する動物が300ぐらいいて、動物の死は自分の家族が死んだような悲しさとは違うわけで……」そういう由村飼育員のサル似の顔が、ふと曇った。
サル山のニホンザルの死は、彼にとって隣人をなくしたような寂しさを伴うのかもしれない。ふと、そんな思いが私の脳裏をよぎった。
取材・文/根岸康雄
http://根岸康雄.yokohama