■あなたの知らない若手社員のホンネ~高瀬法律事務所所属/菊地翔太さん(31才、弁護士5年目)~
前編はこちら
部下の気持ちがイマイチ、わからないという中間管理職だけでなく、若手社員にも参考になればというこの企画。今回はあまり参考にはならないが大いに興味のある職業なのだ。これまでバラエティーに富んだ職種に従事する若手社員を紹介してきた「若手社員の本音」。今回は弁護士に話の登場だ。
シリーズ49回、弁護士 菊地将太さん(31・高瀬法律事務所所属)弁護士資格取得5年目である。テレビドラマの「ヒーロー」に憧れ法曹界に進んだ菊地さん。国選弁護人として携わった刑事事件のエピソードを通して、“正義の味方”とは言えない現実に悩んだこと等を紹介した。さて、後編は民事事件のエピソードである。法律事務所は民事事件の相談がほとんど。菊地弁護士の仕事も9割は民事の案件である。
絶対的正義はない、泥臭い民事事件での奮闘ぶりとは――
一方的な正義なんてない。弁護士にとって正義とは
法律事務所のボスが受けた依頼の案件について、実働部隊として動ことが法律事務所に勤める僕らの主な仕事で。現場での判断は僕ら弁護士の責任です。
民事を手掛けて間がない頃、先輩の弁護士と、アパートの明け渡しの案件を担当しました。都内の木造アパートを売りたいが、一部屋だけ住人が出て行ってくれない。「立ち退き料として40万円ぐらいなら払う。交渉してほしい」と。ところがアパートに居座る相手方の50代の男性もしたたかで。「立ち退く気はないよ」の一点張り。
「明け渡しを急いでほしい」依頼人から催促されていて。「あんたがそんなに言うなら、60万円で立ち退くよ」相手方の居座る男性が、明け渡しにうなずいてくれた。やれやれと思い、依頼人にそれを伝えたんです。すると、
「オレは40万円しか出せないと言っただろう。高い着手金を払っているのに、時間がかかった上に60万円だと。ふざけた話をノコノコ持ってこられても……」そんな感じで、依頼人に渋い顔をされました。
先輩の弁護士には「先生、相手が提示した額をただ持っていっちゃダメだよ。いろいろ代案を立てて報告しないと、依頼人には納得してもらえない」そんなアドバイスをもらいました。
例えば――
40万円に固執すれば、相手はアパートから出ない。間をとって50万円で交渉してみるが、裁判になればお金がかかる可能性もあるし時間もかかる。今、60万円を払って相手が出ていけば、すぐに売却できると。
依頼人に「あなたのためになりますよ、どうですか?」と、話を持っていくことが、民事の交渉ごとの一つの大きな要だと、まずはその点を認識しました。
「1000万円貸した。借用書もあるのに返さない。とんでもないヤツだ。金を取り立ててほしい」依頼人のそんな話を一方的に聞くと、相手は極悪非道な人間に思えますが、実際相手方に会い事情を聞いてみると、借金を返せないそれなりの理由があったりするんです。会社が思うように行かずに倒産し、家も借金の形に取られて、その上に子供と妻の両親が病気で、医療費がかさむ等々。
依頼人の権利の実現が弁護士の仕事ですが、相手方に歩み寄ることが、依頼人のためになる場合もあるわけで。
「1000万円取ろうとしたら、夜逃げされるかもしれません。300万円に減額すれば、相手方は毎月分割で返済できると言っています」案件によっては、こんな提案が落としどころになってきます。裁判で長引かせるのは嫌だし、一銭も取れないより幾らかでも回収したいと、そんな妥協案に同意していただける依頼人も多い。
しょせん、一方的な正義なんてないんだ……。
相手方にもいろんな事情があるんです。中にはかわいそうな人もいる。子どもの頃、“正義の味方”に憧れ、法曹界に進んだ僕としては、そんな現実に悩んだこともありました。気持ちをどう整理し、事件と向き合ったらいいのか。
「相手を思いやる気持ちは抱き続けろ。その上で依頼人の利益を引き出す方法があるはずだ。常にそれを探す姿勢がお前の正義だ」
研修所時代の民事弁護の教官に、相談した時のそんな言葉が印象に残っていますね。
弁護士の醍醐味、法廷での完全勝利
民事事件は、書面でやりとりする地味な仕事がほとんどです。でも法廷で「異議あり!」とか、やりとりをするのが弁護士の醍醐味で。うちの法律事務所で引き受ける案件は、裁判所の法廷に持ち込む民事事件がけっこう多い。
僕が担当したとある土地の権利をめぐる紛争では、一方は売ることに同意をした、他方は売ることに同意していないという、どちらかがウソをついている事件でした。僕の依頼人は不同意を主張する側でした。「土地を売却すると同意した文面が残っているんだ」と、相手方が主張している。依頼人は「書いた覚えはない」という主張ですが、書類が出てきたのは不利だなと僕は思っていた。
何か糸口はないか、その書類をよく見ると「あれ……」、書類に押印されたハンコの向きが、印鑑登録証の印の向きと逆じゃないですか。他の書類はすべて実印を押す時、印鑑登録の向きと同じで、依頼人本人が押したのであれば、大切な書類に逆に押すことはおかしい。僕はこの不可解な点について、法廷で相手の証人喚問の時に勝負をかけたんです。
「あなたの前でハンコを押したのは、私の代理人本人ですか」
「その通りです」
「ふつうはハンコの向きを確かめて押しますよね」
「もちろん」と、そこまで言わせておいてーー、
「この書類の印を見てください。印鑑証明書の印と逆じゃないですか」
土地売買の承諾書を突きつけた。相手はギョッとして。「こ、この印鑑証明は間違いだ!」とか支離滅裂なことを言いはじめた。大切なのは客観的な証拠と整合性です。こちらが突きつけた事実が必殺の一撃になり、完全勝訴でした。
弁護士の仕事、人権を守ることとは
弁護士の使命とは何か。人権を守る、それが弁護士の第一義であると。では人権とは何か。担当した国選弁護のある刑事事件では、依頼人が韓国人で日本語がまったく通じない。お金の入ったバッグを盗んだ、窃盗は本人も認めていて罪を軽減してもらうために、どれだけ反省しているかを言葉で表現し、裁判長に分かってもらう必要があります。
被告人と面会した時の通訳とは、気が合いまして。日本に来て雇い止めに会い、お金がなくてお腹が空いて、つい盗んでしまった。被害者の方には大変ご迷惑をおかけしました。心から反省している、二度としません等々、言葉を練ったんです。
ところが法廷での通訳は、面会の時とは違う人が担当する。法廷で被告の韓国人は多くの言葉で心からの反省を語ったのですが、通訳は「ごめんなさい、申し訳ございませんと言っています」と、一言で終わらせてしまった。
被告人は韓国に強制送還になったのですが後日、面会の時の通訳と会った時、その話をしましたら、彼は非常に憤慨して。「そんな通訳じゃ、裁判長には何も伝わらないよ。被告人は心からの言葉を言ったのに、ひどいじゃないか!」と。
通訳の彼の言葉に、弁護士として僕も感じるところがありました。出来心でも犯罪には背景があります。食べるものがなくて空腹から弁当を万引きしたとか、解雇にあったり、病気で働けず、お金がなくて盗みをしたとか。
どんな犯罪者でも裁判を受ける権利があり、言い分を聞いてもらう権利があります。
依頼人が事件や訴訟を起こした背景や意味合いに真摯に耳を傾け、それを理解し、万人にわかるように代弁する。
弁護士が人権を守るとは、そういうことなのではないか。
僕はそんな想いを抱いています。
取材・文/根岸康雄
http://根岸康雄.yokohama