【後編】4年目の医師のホンネ「脳死の現場の立会いー医療ってなんだろうー私は常に、自問自答することでしょう」昭和大学藤が丘病院呼吸器内科・賀嶋さおりさん

■あなたの知らない若手社員のホンネ~昭和大学藤が丘病院呼吸器内科/賀嶋さおりさん(27才、医師免許取得4年目)~

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様々な現場で奮闘する若手社員を描くこの企画。今回は若手女医を紹介する。彼女が所属する呼吸器内科は、肺に関する完治しづらい疾患を専門にする。厳しい医療現場である。中間管理職も若手社員も考えさせられ、勇気付けられる物語が展開する。

シリーズ55回、昭和大学藤が丘病院呼吸器内科医師 賀嶋さおりさん(27・医師免許取得4年目)。6年間で医学部を卒業。医師国家試験に合格し医師免許を取得すると、2年以上の臨床研修が義務付けられ、その期間を「研修医」と呼ぶ。彼女は平塚市内の総合病院で2年間、研修医を経験。その後、呼吸器内科の道を選んだ。

話は研修医時代、救急科での研修中に、バイク事故を起こした十代の男性が救急車で運び込まれ、出血性ショックにより処置室で心肺停止。胸骨圧迫や輸血等で心臓は動き出すがその間、脳への酸素の供給が滞り、脳死状態に陥る。

脳死の現場に立ち会う

体格のいい十代の男性で、処置室では「痛いよぉ!」と訴えていたのですが、急に心臓が止まってしまった。胸骨圧迫や輸血等で心臓は動き出しましたがその間、脳に酸素が行かず脳死状態。その子は免許書の裏にある臓器提供の同意にサインをしていました。ご家族もバイクに親しんでいて、事故で命を落とすこともあるかもしれないと理解していたのでしょう。親御さんは「臓器提供をお願いします」と、同意書にサインをしてくれました。

臓器提供となり、すぐにその医療に関わる先生たちが病院に来ました。そして私と指導の先生は手術室で、その子の人工呼吸器を止めました。脳死状態では自ら呼吸ができません。呼吸器を止めれば、目の前で心電図は水平になります。

人を殺した……。法的に問題はないのですが、複雑な思いになりました。一方でリストには肝臓、腎臓、角膜等々、名前こそありませんが、臓器が提供される方々の情報が、ズラッと書かれている。

この男の子の命を私は助けることができなかったけど、このリストにある十数人の患者さんの命を、助けることができるに違いない。その子の臓器はヘリコプターも使い、待っている患者さんの元に届けられました。

医療ってなんだろう――この答えがないかもしれないことを私は一生、自問自答していくことでしょう。

化学治療をやってよかったのか…

平塚市の総合病院で、2年間の研修医の生活を終えて母校の付属病院に戻り、正式に呼吸器内科を志望しました。研修医は1ヶ月ごとに科が代わりましたが、呼吸器内科に入ってからは、肺ガンの化学治療で3〜4週間入院するとか、入院患者さんを長く診ることが多くなって。「先生、また入院しました。よろしく」とか、患者さんが気を許してくれます。

肺ガンでも手術で取れる方は、呼吸器外科にかかります。呼吸器内科は手術ができない、完治は難しい患者さんが来るわけで。他の科に比べて亡くなる患者さんが多い。先週まで元気だったのに、亡くなられると気が滅入りますし、ご家族は大丈夫だろうかと心配になります。

60才男性の患者さんは、進行の早い小細胞ガンでした。来院時には大きな肺ガンの他に転移もあり、採血のデータを見ただけでも末期であるとわかりました。進行の早い小細胞ガンは抗ガン剤が効きやすい。でも抗ガン剤の化学治療は副作用が強く、亡くなる場合もある。

ご家族には抗ガン剤の副作用が、患者さんにとってどれほど辛いか、時間をかけてお話をしました。ご家族はそれを納得した上で、

「できる限り長く生きていてほしい。少しの望みでも化学治療をやりたい」と。「やってみましょう」となり、抗ガン剤治療を開始して4日後でした。患者さんはお亡くなりになりました。

奥さんや娘さんは泣き崩れて。抗ガン剤治療をやらなければ、生きる時間が伸び最期の時を 家族と安らかに過ごせたかもしれない。化学治療が命を縮めたのかもしれない。

「全力を尽くしてくれて、有難うございました」と、ご家族には言ってもらえましたが、落ち込みました。

「抗ガン剤治療をやってよかったんですかね……」それは上の先生に私が問いかけた言葉です。「正解は誰にもわからない。考え抜いた上での治療なのだから、失敗ではないと思う。自分が判断したことが正解だと思って現場に携わる、その方がいいよ」それは経験を積んだ先生の言葉でした。

人の生命力は私たちの予想を超えると、実感したこともありました。誤えん性肺炎で入院した80代の女性は、寝たきりで認知症を患っていて。肺炎でさらに体力が落ち、治療後のゼリー食も飲み込めない。「口から食べるのは厳しいでしょう。胃ろうを作るか、鼻から管を入れ、直接栄養を取る方がいいと思います」と、ご家族に伝えたました。すると、

「胃ろうや鼻から管を入れて栄養を取るなんて、考えられません。最期まで人間らしい生活をさせたい」と、ご家族は言われて。「リハビリを頑張ってみましょう」と答えましたが、上の先生も厳しいんじゃないかと。

ところがご家族が毎日来て、献身的に病院で出される調整食の介助をされて。時間はかかりましたが、徐々に患者さんは口から食事を摂取できるようになりまして。「よかったですね」と退院した。私たちは病気の患者さんしか見ていませんが、ご家族はそれまでの本人の人生や性格や気力を知っているから、回復を望めたんだなと。

「人の生きる力ってすごい」

上の先生とはそんな言葉を交わしました。そして今更ながら、患者さんを決めつけてはいけないと思った出来事でした。

完治はできなくても呼吸の苦しさが改善され、患者さんが退院する時はやり甲斐を感じます。「また来るね」「また来ちゃダメですよ」仲良くなった方とそんな会話を交わして。

もっと医学を学びたい。治療の幅を広げたい。私はいつか祖父のように、地域に密着して医療を担う、“町医者”になりたい想いを抱いています。そんな私にとって、患者さんのお話にじっくりと耳を傾けることができるこの科は、向いていると感じています。

取材・文/根岸康雄
http://根岸康雄.yokohama