【Re:Start】《前編》10年の米国生活後、浦島太郎状態からの就職活動でした

Re:Start Story1 前編|サンケミカル株式会社 営業部 機能性添加剤・塗料グループ 浅倉拓馬さん(29)
高校卒業後、アメリカの大学に進学。ハワイ、オレゴンと約10年をアメリカで暮らす。昨年8月にサンケミカル株式会社に入社し、現在は営業として塗料を中心に担当する。

こんな仕事に就きたかった、こんな道に進みたかった、でもうまくいかない……。若者たちは時に迷い、壁にぶつかり、思い悩む。人生において、立ち止まったり、遠回りしたりすることもある。でも、人は誰でも再び歩き始めることができる。今回から始まるこのシリーズは順風満帆な人生を送る若者を取り上げるものではない。時につまずきながらも、おぼろげだった自分の道を見出し、一歩一歩前に進む若者たちのリアルにスポットを当て、彼らの人生にうなずき、静かに拍手を贈る企画である。

第1回目はサンケミカル株式会社 営業部 機能性添加剤・塗料グループ 浅倉拓馬さん(29)。彼が昨年8月に入社したサンケミカルは樹脂添加剤、化成品、塗料等のニッチなケミカル製品の輸入販売に携わる商社である。従業員20名ほどだが、年商は約60億円。

浅倉さんは約10年の米国生活を経て帰国、日本の企業のことはまったくわからない、浦島太郎状態の中で悪戦苦闘し、サンケミカルの正社員になった。

将来はアメリカでやっていきたい。

最初の転機は高校2年の時でした。都内の私立高校に通っていたのですが、修学旅行で行った4泊6日のハワイは、強烈な思い出でした。ハワイは日本に比べてゆっくりと時間が流れている感覚がして。言葉はたどたどしくても人柄は通じます。ホームステイ先のアメリカ人の包み込むような優しさに、帰国の時は涙が出るほどでした。アメリカという国のスケールに感激した旅行でした。

元々、日本の会社はネクタイを締めて、堅苦しいというイメージがあって、そんな雰囲気の中では働きたくない。ハワイでの体験にも影響され、将来的にアメリカでやっていこうという思いが強くなり、卒業と同時にハワイのカレッジに進学しました。

もともとスポーツ好きでサッカー、バスケット、陸上競技、高校時代はバレーに熱中した僕は、将来的にアメリカでトレーナーの技術を習得し、プロ選手をケアする仕事に就きたいと思っていました。でも、その前に語学の習得が課題です。

日本の学生は海外に出ると、日本人だけのグループに閉じこもりがちですが、ハワイはヨーロッパやアジアの人たちや、世界中から留学生が集まる。カレッジの勉強もさることながら、ハワイではサーフィン、ビーチバレー、夜はパーティーに明け暮れました。

スポーツを通して彼らと仲良くなった分、英語力は思いのほか上達しました。ハワイで2年間半暮らし、アメリカの大学に行こうとハワイのカレッジと繋がりがあるオレゴン大学に進学し、オレゴン州のユージーン市で、大学を卒業するまで6年以上、生活しました。

大学ではプレゼンテーションは日常茶飯事、山のようなレポートや論文等、朝から晩まで勉強させられました。厳しかった。仕送りだけでは足りず、学校のキッチンで下働きのアルバイトをしながらも、仲間でバレーチームを作ったり、地元でバレーボールを教えたり。それなりに学生生活をエンジョイしていました。人間生理学を専攻したが、後に心理学の専攻に変え、6年半かけて大学を卒業。さて、何をしようか。