【後編】多摩動物公園園長が語る飼育員の生き方「動物たちの誕生と死と向き合う」(2018.05.20)

【動物園を100倍楽しむ方法】第二回 多摩動物公園園長が語る飼育員の生き方 後編

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今年開園60周年を迎えた多摩動物公園の園長の永井清さん(61才)。動物園一筋の人生である。大きな体を園長室のソファーに沈め、時より頭に手を置き、これまでに園長が触れ合った動物たちのこと。飼育員気質について。生き物の誕生と死についてのこと。来園者の目をひく目玉動物について。そして今年開園60周年を迎えた多摩動物公園の楽しみ方等々、話を聞いた。

「職員は試験制度があって、ステップアップしていくのですが、飼育員の中には異動したくない、ずっと現場にいたいと、あえて昇進のための試験を受けない人もいます」と語る永井園長の口調には、そんな飼育員への羨望がこめられているようにも、私には感じられた。

繁殖に興味があった永井さんは東京都の畜産職の職員として採用され、上野動物園の鳥の飼育員を皮切りに、東京特産のブタの普及促進。上野動物園の西園を統括する係長時代は小笠原諸島の固有種で、絶滅寸前のアカガシラカラスバトの繁殖の現場責任者として繁殖に尽力。

井の頭自然文化園(以下・井の頭動物園)の園長になったのは40代後半。主に日本産の動物を展示する井の頭動物園だが長年、人気者だったのが、アジアゾウの「はな子」だった。

■はな子、そしてモーリーさん

はな子は昭和30年代に二度の大きな事故を起こし、「殺人ゾウ」と呼ばれ、鎖に繋がれた時期もありましたが、決して凶暴なゾウではありません。気難しいゾウなんです。飼育員の山川清蔵さんが約30年間、直接的な飼育をしたことは有名ですが、気にくわない人間に関してはダメでした。

晩年も飼育員が鼻で転倒させられたり、獣医が投げ飛ばされる事故が起きて。直接飼育から飼育員が柵越しに世話をする、準間接飼育に改められたのですが。それを目にしたカナダ人が「コンクリートの中で、一頭だけ立ち尽くしている」とブログ上で発信したことをきっかけに、イギリスの動物愛護団体が署名活動を始めました。はな子を適切なゾウの保護区域へ移すか、適切な施設で仲間のゾウと一緒に暮らせる環境においてあげたい。「世界一悲しいゾウ」「コンクリートの檻の中に押し込められたおばあちゃん」などと、海外のメディアで取り上げられ、動物園に非難の目が向けられてしまいました。

しかし、はな子は小さい時から、人間としか関わってこなかったわけですし、最晩年に環境を変えるのは、負担になるのではないかと。

今は井の頭動物園で、ゾウを飼うことは考えられない。ゾウは家族単位で生活をする動物ですから複数で飼うのが原則です。井の頭動物園のゾウ舎は狭くてそれができない。それぞれの動物の生態に適した形での飼育は、今や動物園の常識となっています。

井の頭動物園の園長を4年。その後、多摩動物公園の副園長を3年、上野動物園の副園長を2年やり、再び井の頭動物園の園長に戻ってきた時は、はな子は痩せ衰えていました。衰弱していて寝てしまうと、起き上がる力がない状態で。たまたま会合に出席していた時に、はな子が倒れたという連絡を受けて。動物園に戻ると、飼育員は寝た状態のはな子の内臓が圧迫されないように、チェーンブロックを使い寝返りをさせようとしていて。午後3時頃、苦しむことなく静かに息を引き取りました。69才でした。

東日本大震災の年の4月に、老衰で死んだオラウータンのモーリーさんの時も、知り合いを亡くしたような気がしました。日本の動物園で最初に出産したオラウータンで、モーリーという名前なんですが、みんなモーリーさんと“さん”付けで呼んでいました。私が上野動物園の西園の係長だった時にモーリーさんがいて。余生を過ごすために、2005年に多摩動物園に移ってきたんです。モーリーさんはクレヨンを渡すと画用紙に絵を描いたんですよ。「モーリー画伯」と親しまれていました。59才は飼育下のオラウータンでは、世界最高齢でした。

■「俺が殺した」と「たまたまですよ」

現場で飼育員をしていた若い頃から動物が死ぬと、嫌な気持ちになることは変わりありません。はな子が死んだ時も、担当の飼育員は声をかけられないほど泣いていました。

飼育員は動物が死ぬと「俺が殺した……」という言い方をする。ところが、動物が子供を産んで増えた時は「たまたまですよ」と言うんです。外国人だったら、「私が繁殖させたんだ」と自慢するでしょうが、日本人の飼育員の間で、繁殖に関しての自慢話を私は聞いたことはありません。

日本で初めて繁殖に成功させた実績を讃え、日本動物水族館協会から「繁殖賞」が授与されます。多摩動物公園もこれまでたくさん「繁殖賞」をいただいていますが、誰一人としてその賞を自慢するものはいない。

飼育している動物が死んだ時は、“自分のせい”動物が子供を産んだ時は“たまたま”。それが日本の飼育員に共通したスタンスなんです。

多摩動物公園の園長として赴任したのは昨年の4月。うちのコアラ館は一時の人気はありませんし、パンダはいませんが、同じ白黒なら私は多摩動物公園のコウノトリを知ってもらいたいですね。71年に国内のコウノトリは一度、絶滅している。パンダが初めて日本に来た1972年に、コウノトリを中国から迎い入れて、当時の美濃部都知事も参列して盛大な歓迎式典が行われた。多摩動物公園では88年から連続30年間、コウノトリの繁殖に成功している。これは自慢してもいいと、私は思っています。

バスでライオンの展示エリアを周り、間近でライオンを観察できる多摩動物公園名物のライオンバスも、現在改修のために運休中ですし、アジアゾウの展示施設やその他、園内は工事箇所が多くて。今年の5月5日で開園60周年を迎えて、アピールが足りないところは申し訳ないですが、広い園内をハイキング気分で散策しながら、展示動物を見学してもらえればと思います。森林浴にも、もってこいです。

個人的なことを言えば、園長の任を解かれた暁には、これまで十分にできなかった動物の飼育と繁殖を、一飼育員に戻ってお手伝いしたいと思っていますが、若い職員たちの足手まといになるだけでしょう。

実はね、根岸さん、私、家でキリギリスの繁殖に取り組んでいるんですよ。スズムシは比較的簡単に繁殖ができますが、肉食のキリギリスは難しい。つがいで飼い始めて今は数十匹に増えました。繁殖させるコツはですね、一つだけ教えると春から初夏にかけて、幼虫はヒメジオン、ハルジオンの花粉をエサにしている。ですから今の時期、近所の空き地に花摘みに行くのが私の日課です(笑)。

【動物園の赤ちゃん秘蔵ショットを公開!】

この春、多摩動物公園のサル山ではこれまでに8頭のニホンザルの赤ちゃんが生まれました。そのうちの一頭がこの子です。まだ個体識別が出来ていないので、名前は付いていませんが、サルのヤンチャさは持って生まれたものなのか。好奇心が旺盛で、生後一週間もすると少しずつ親から離れようとします。そんな子ザルの足や手を母ザルが押さえて、自分から離れないようにします。その時の子ザルの仕草がまた可愛い。乳離れして固形の餌が食べられるようになるのは2〜3ヶ月後です。

取材・文/根岸康雄
http://根岸康雄.yokohama