あなたの知らない若手社員のホンネ~株式会社ドミノ・ピザジャパン/星野智也さん(33才、入社4年目)~
部内の円滑な人間関係に少なからず気を配る中間管理職にとって、若手社員の仕事への取り組みの一例を知ることは部内の若手を見直す一助になるに違いない。若手は入社3年目辺りの社員の仕事ぶりに興味を抱くだろう。これまで、バラエティーに富んだ職種に従事する若手社員を紹介してきたこの企画。今回は宅配ピザでおなじみのドミノ・ピザである。
シリーズ47回、株式会社ドミノ・ピザジャパン 営業部東日本第一営業課 スーパーバイザー 星野智也さん(33・入社4年目)。全国で550店舗以上展開する売上業界トップの「ドミノ・ピザ」、“お持帰りなら1枚買うともう1枚無料”の割引は知られている。
星野さんは海外の音楽大学を卒業し、29才までプロのチェリストとして活躍していたという異色の経歴の持ち主。人生いろいろだが、なぜ音楽家からピザ店のアルバイト店員を経て、社員になったのだろうか。
もう演奏ができない、ピザ店の配達員に。
出身は東京です。6才からチェロの演奏をはじめて、18才の時にハンガリーのリスト音楽院に留学しました。25才まで留学生活を送り大学は卒業したのですが、日本で借りていた奨学金の返済がはじまる。親にこれ以上迷惑をかけられないと帰国しました。
フリーのチェリストとして、クラシックのオーケストラや、アニメや映画音楽のスタジオ演奏、大学の非常勤講師等を生業にしていたんです。収入は安定しませんでしたが、年収は今より多かったかもしれない。ところが仕事を詰め過ぎたことで、弓を持つ右肩甲骨あたりにしびれが出て。通院してもなかなか治らない。もう楽器を長い時間弾くことができなくなってしまった。
努力してチェロで人格形成してきました。親に援助してもらい、チェロの恩師も「星野にとって、これからが大事な時期だ」と言葉を贈ってくれる。それがすべてゼロになってしまうと思うと不安でした。悩みましたね。
3ヶ月間休んでみようと。同年代の友達は家庭があり仕事に忙しい。1週間もすると、自分は何をしているんだと不安になって。とりあえずアルバイトをしようと、高校時代に経験した家の近くのドミノ・ピザに、宅配のドライバーとして採用されたんです。バイト仲間は学生が多く、29才の僕は最年長でした。
時給は1100円。三輪のジャイロキャノビーを運転し、注文を頂いてから30分以内にピザをお届する。車輌にはGPSが配備されているし、速度オーバーは店内のモニターでわかり、指導が入る仕組みですから。焦って配達してはいけないというルールでした。
「何やってんの!? 30分過ぎてるだろう!!」「時間返せよ!!」お腹が空いたお客さんの厳しい叱咤の声に、「申し訳ありません」と。代金の返金やピザを作り直したり、クーポン券をお渡ししたりしたことは何回かありました。
アルバイトはクルーと呼ばれていますが、僕が働いたのは歴史のある店舗で、ベテランのクルーが揃っていました。そこに新米の店長が赴任してきたんです。ベテランのクルーはピザ作りも自分なりのやり方があって。ソースを配したピザ生地の上に、両手を使いオニオン、ピーマン等々、火の通り易い食材から、順番にトッピングするのですが、食材の置き方がマニュアル通りではなかった。
「これは違うよ、どこの店も同じクオリティーを出すためにも、食材の置き方もマニュアル通り、スタンダードにしよう」そう指示する店長と、「何がスタンダードだよ!?」という感じのクルーとの間に、亀裂が深まってしまった。
自分が最も苦手な分野に
そんな時に、各店舗を対象に売上げ向上のためコンテストが実施されたんです。「オーダーの単価を上げるために、サラダやデザートを勧めよう」クルーを集めた会議での店長のそんな提案に、「時給は変わんないんだろう」と、僕を含めクルーたちは冷ややかでした。
すると店長が率先してやりはじめた。店舗や電話でサイドメニューのオーダーが取れると、「取れた!」とアルバイトに声掛けして。店長はバックヤードのボードに“正”を付けていったんです。“正”の字が増えていくと、成果が目に見える。僕らアルバイトも徐々に真剣に取り組みはじめました。
サイドメニューを勧めても、電話口で「いらないよ、ピザ早く持ってきて!」というお客さんは多いのですが、めげずに「サラダはいかがですか」「デザートはいかかですか」とお勧めする。中には「サラダね、デザートか、いいね、もらおうか」という方もいて。オーダーがもらえた時は「取れましたぁ!」、店内で声を上げると、「おー、やったじゃん」「すごい!」とか、お互いに褒め合うようになって。店長とクルーの溝も徐々に解消され、店内に一体感が生まれたんです。
コンテストの成績も良く、店長とクルーで食事会をやりました。それからは年末の繁忙期の対策等、店長とクルーが会議を持ち話し合うようになっていったんです。
できるかどうかわからないけど店長っていいな、そんな想いを抱くようになりました。チェリストは個人プレーです。これまでは仕事場でみんなと一緒に取り組み、成長したという実感を持った経験がありませんでしたから。
アルバイトをはじめて3ヶ月後には、店長が休みの時、店舗を任される役職に選ばれましたが、僕は就職先を探していました。そんな時に店舗でドミノ・ピザの人事担当の人に声をかけられまして。僕は想いの丈を打ち明けたんです。
チェロが弾けなくなって、自分の人生は一度終わった。接客とかアルバイトをまとめるとかは、志してきた芸術と真逆なことで、自分が最も苦手な分野だと思う。でも、チェロを弾けない心の穴を埋める意味でも、第二の人生は自分にとって大変な道を選び、チャレンジをして何かを得たい。
僕の話に人事の担当者は、「キミの志をうちで活かすことはできないか」と。そんな言葉が心に刺さりましたね。
まずは店舗で大失敗
入社して3週間の研修を経て、配属されたのは大田区の蒲田店。まず大きな失敗は朝、出勤してオーブンのスイッチを付け忘れてしまったこと。1時間前には点火しオーブンを温めておかないと、気付いたのはオープンの11時で。開店の時にピザが焼けない。この時、すでにオーダーは10数件入っていて。お客さんはお腹を空かして待っている。
赴任の時に、蒲田店の店長は優秀と告げられていました。この失敗を店長に何と報告したらいいのか……。
「気分で生きているところがある」と、自認する星野さん、やがて店長として店を切り盛りしていくのだが、降りかかる難題に彼の“気分”はどう炸裂していくのか。詳しくは後編で。
取材・文/根岸康雄
http://根岸康雄.yokohama