【後編】入局7年目の本音「将来的には日本で初めての女性特別救助隊隊長も視野に入れていきたい」横浜市消防局特別救助隊員・友岡杏奈さん

■あなたの知らない若手社員のホンネ ~横浜市消防局/友岡杏奈さん(27才、入局7年目)~

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若手の仕事へのモチベーションを理解することは中間管理職にとって、職場での人間関係を円滑にする必須条件。20代も同世代がどんな仕事に汗を流しているのか、興味のあるところに違いない。バラエティーに富んだ職種を紹介してきたこの企画、今回は横浜市消防局の女性特別救助隊員の紹介である。女性の特別救助隊員は全国で4人のみ。横浜市消防局ではその長い歴史の中で、初めての女性隊員。文字通りのフロンティアである。

シリーズ41回、横浜市消防局 特別救助隊員 友岡杏奈さん(27)入局7年目。災害現場に先頭になって突入し、人命救助を最優先の使命と特別救助隊員は、屈強な男たちの集団として知られている。災害の現場の最前線で人命救助の任務を担いたいと、特別救助隊を志願した友岡さん。腕立て伏せ2秒に1回が40回以上、握力左右45kg以上、背筋力150kg以上、懸垂4秒に1回が15回以上、20mのシャトルラン95回以上……。

そんな体力試験の基準が満たせず、何回か試験に失敗。それでもめげずにトレーニングに励んでいたある日、懸垂の練習中に友岡さんは右肩を脱臼してしまう。

脱臼からの復帰

入局4年目のことです。勤務する保土ヶ谷消防署内でした。懸垂のトレーニングをするために、訓練用の鉄棒に飛びついた時に右肩に痛みが走り脱臼して。医師の勧めで手術をしましました。それまでは当直と非番を繰り返す、火災現場に対応する隊員としての勤務でしたが日勤に移り、小学校や赤ちゃん教室で防災指導をしたり。

振り返ると、右肩の脱臼が自分を見直すいい機会になりました。その時、選択肢は色々とあったのです。年齢制限もクリアできるので実家に戻り、地元の消防署に勤務することもできる。日勤の子供たちを相手に防災教育の仕事も楽しかったし、救急救命士の資格を取得していましたから、救急車を担う救急隊を志願してもいい。大型免許も取得しましたから、内部資格を取得して消防車の運転を志すこともできます。

特別救助隊の隊員を目指すのは、もういいかな、そんな思いが頭をもたげましたが……。ここで諦めるのは簡単です。でも、係長も先輩も同僚も励ましてくれましたし。ケガをする前はトレーニングの成果が徐々に現れ、体力がつき、体力試験の基準クリアが見えていた。特別救助隊を目指して横浜に来たのだし、私の負けず嫌いはハンパではないし、何よりこの大ケガを乗り越え、特別救助隊員に選抜試験にパスすることができたのなら……。

私って強い。そう自分の中で誇れるに違いないと。

術後すぐにリハビリを兼ね、署内でチューブを使ったトレーニングを開始して、徐々に負荷をかけるようにして。ケガをした年の特別救助隊員の選抜試験は、さすがにパスして、翌年5月に行われるロープブリッジの大会を目標にしたんです。

体力試験はパス、しかし――

ロープブリッジはピンと張った20mのロープを、うつ伏せで渡り仰向けで帰ってくる速さを競う大会です。ケガから半年後には24時間勤務の当直と非番を繰り返す、火災現場に急行する隊の任務に復帰をしましたが、当時、勤務していた保土ヶ谷消防署の屋上にロープを張り、ひたすら練習を繰り返しました。

以前も出場したことがありましたが、ケガの後に参加したロープブリッジの大会で、自己ベストが出たんです。男性ともそこそこ勝負できるタイムが出たことが自信になり、10月上旬の特別救助隊員の選抜試験に挑戦しようと。私にとって3回目のチャレンジでした。そして結果は――。

基準をすべて満たすことができた。私は体力試験をクリアしたんです。でも、だからと言って特別救助隊の隊員になれるわけではない。合格者は体力試験に好成績を収めた上位36人で、私はその中に入れなかったのです。

「よく頑張ったね!」「すごいね!」先輩や同僚はそんな言葉を贈ってくれましたが、結局、私は特別救助隊員にはなれなかった。

ところが、横浜市消防局の特別救助隊に関わる部署では、私のことで話し合いが持たれたと聞きました。「全国的には女性の特別救助隊員が何人か出てきている。これからも特別救助隊の隊員を目指す女性はいるに違いない。それを体力試験の順位だけで、切り捨てていいのか」「被災現場で屈強な男だけで被災者に接すより、女性がいれば安心感につながるのではないか」「彼女は救急救命士の資格を取得している。人命救助の現場で力を発揮するのではないか」、そんなことが話し合われたことも、断片的に聞かされました。