※この記事は2017.11.21に@DIMEで連載されたものを転載したものです
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若い部下は何を考えているのか。また、20代に読者にとって、同世代はどんな状況に置かれ、どのような仕事をしているのか。語るのは京浜急行電鉄株式会社、鉄道本部施設部通信課、杉山誠一さん(28才)入社5年目のである。学生時代は新素材を使った太陽電池の研究に没頭したが、入社後は金沢文庫通信区に配属。作業着にヘルメット、安全靴を履き腰に道具入れを下げ、信号保安設備保守の仕事に従事。大雪の時は体力の限界を感じるほど、線路の雪かきをして電車の運行に努力。“コミュニケーションはメシだ”という現場の雰囲気にすっかり馴染んだが、乗務区に配転になると腹痛を起こす癖が悩みのタネに。乗務中に何度かトイレに駆け込んだ。
●先輩の一言
車内放送でも先輩に注意されましたね。品川の次の駅の泉岳寺止まりのときは「この電車は泉岳寺行きです」と、放送しなければいけない。それを「この電車は泉岳寺方面行きです」と、言ってしまって。
先輩としてはその場で注意したい。でも「お前、違うだろう」と言ってしまうと、マイクにその声が入って車内中に聞こえてしまう。仕方なく先輩は足でドンドンと僕をこずいて。『あッ』失敗に気づいた僕はあわてて、「失礼いたしました」とマイクに向かって、言い直したことがありました。
信号の現場では技術面しか見ていなかったので、お客さんや乗務員の先輩と接して、実際に電気がどのように使われ、役立っているのかを見ることができていい体験だったのですが。途中下車してトイレに駆け込んだ腹痛のプレッシャーが、ストレスに繋がったのかもしれません。僕は学生時代から扁桃腺を腫らす癖があって、車掌のときも扁桃炎で40度の熱が出て、一週間会社を休んでしまって。
これじゃ仕事になんねえ、まずいなぁ、俺は社会に出ても役に立たない人間かもなぁ……と、このときはかなり落ち込みました。
そんな思いを心の底に抱きつつ、次に川崎通信区に異動になったんです。そんなある日のことでした。川崎通信区の詰所で班の先輩たちと雑談をしている時、
「杉山くんはさ、何で仕事を頑張れるの?」
30代半ばの先輩に聞かれたんです。
「与えられた仕事なんで、真っ当にこなすのが自分の役目だと思っています」
そう答えたんですが、次の先輩に言葉が今も心に残っています。
「仕事を一生懸命にやるのは、みんなと仲良くなるためだよ」
「みんなと仲良くなるため……」
「仕事を一生懸命やっていると、誰かが手を貸してくれたり、あいつは頑張っているなと認めてくれたり、失敗した時もサポートしてくれたり。そういうことを通して人間関係を作ることなんだよ」
あの大雪の時だって、電車の運行を少しでも遅らせないように、みんなで力を合わせた。僕が会社に入って経験してきたことは、仲間を大切にし、仲間と力を合わせることだったんだと、この時改めて自覚したといいますか。川崎通信区に1年、次の配転先は金沢文庫電力区でした。
●“アニキ!”
金沢文庫電力区での失敗談といえば、竹梯子を一人で担ぎ上げられなかったことですね。電力区には重たい竹梯子を一人で担ぎ上げるという、伝統的な訓練があるんです。竹梯子を架線に引っ掛けよじ登って点検するんですが、高卒の同期もみんなバンバン竹梯子を担ぎ上げられるのに、僕だけできず仕舞い。
「まっ、いいよ。杉山くんは本社で頑張んなよ」って、逆に先輩に励まされまして。
出入りの業者さんの話では、他の鉄道会社の人は、細いことを気にする人がけっこういるそうです。でも、うちは下町と港町と漁師町を走る鉄道ですから、現場の先輩は“アニキ!”という感じで人柄もおおらかです。
ただ現場で思ったことは、勉強会みたいなものがもっとあったらいいなということ。機器がこの数値を越えると、異常だとみんなわかっているのですが、なぜその数値を越えるとダメなのか。理論的に電気の仕組みとかをもっと理解していれば、仕事が今以上に楽しくなるはずです。
現場を約4年間経験して、ネクタイをして本社で働きはじめて半年が過ぎました。今の仕事は工事の設計や費用の見積もり、業者とやり取りして施工を見守る。先輩は40代のベテランばかりで設備に関しては、隅々まで知っています。怒られることはありませんが、「あれ、これ知らなかったの?」と、言われることが度々あって。勉強しなくてはならないことが山積みです。
おそらくメーカーに入っていたら学生時代と同様に、狭い分野の研究に取り込んでいたでしょう。電鉄会社は弱電の通信と電力線や変電所の強電と両方に携わります。電気がどのように世の中のためになっているのか、電気の役割全体を見られるところが面白い。将来的には学生時代に太陽電池をやっていたので、電車の省力化が気になりますね。
取材・文/根岸康雄