【前編】入社5年目社員の本音「先輩、ちょっとトイレに…」京急電鉄・杉山誠一さん(2017.11.14)

※この記事は2017.11.14に@DIMEで連載されたものを転載したものです

■あなたの知らない若手社員のホンネ
~京浜急行電鉄株式会社 杉山誠一さん(28才、入社5年目)~

「若い部下の考えていることがよくわからん」という管理職の声をよく耳にするが、そもそも20代の社員は何を考えているのだろうか。また若い世代にとっても、同世代がどんな状況に置かれていて、どのような仕事をしているのか気になる。そこで入社3〜5年の社員の話にじっくりと耳を傾け、彼らの本音に迫るのがこの企画だ。

第一回、登場するのは品川を起点に三浦半島の三崎口まで総距離87km。羽田空港に直行する空港線なども運行する、京浜急行電鉄株式会社の社員。鉄道本部施設部通信課の杉山誠一さん(28才)。入社5年目である。

●真逆の職場

大学で電気を学びました。研究室では導電性の新素材の素子を扱いまして。新素材をパルプに混ぜ込んだ紙を作り、太陽電池として使う研究をしましていました。大学院を卒業する段階で、勉強してきた電気が生かせて、景気の波にあまり左右されないインフラ関係と思い、鉄道会社にエントリー。私鉄の技術職は採用が少ないんですが、面接でよくしゃべったのが功を奏したのか、同期で電気関係は僕だけでした。

関連企業のホテルでの研修では、ベッドメイキングの仕事でキックリ腰になりました。電気関係の総合職は鉄道の各現場をしっかりと経験しなくてはならないということで半年間の研修の後、僕が最初に配属されたのは金沢文庫通信区でした。仕事はベージュの作業服にオレンジのヘルメットと黄色のチョッキ、安全靴で腰に道具の入った袋を下げて。線路内を歩いて信号機によじ登ったり、電車のレールを替えるポイントの点検をしました。

学生時代の研究室とは真逆の職場ですから、厳しい世界だろうと覚悟していたのです。ところが現場で働く人は僕と同年輩が多くて、休憩時間の雑談の話題もアイドルのこととか、スマホのこととか、学生時代とほとんど変わらない。先輩には敬語で接しますが、フランクに話ができる雰囲気でした。

●コミュニケーションはメシ

金沢文庫通信区には6班あって各班5〜6人。僕はお酒があまり飲めないんですが、みんな飲みの席よりも詰所でよくご飯を作って食べるんですよ。日勤夜勤日勤と続いてけっこう仕事はきついんですが、昼も夜も自分たちでどっさり作る。ラーメンなら一人2人前、マーボー丼ならご飯は一人1.5合。

金沢文庫の詰所には、通信区と電力区がありますが、「昔は通信区が得意なのは麺、電力区は飯という伝統があったんだよ」と、先輩に聞きました。京急の現場には、コミュニケーションはメシだという精神がある。僕は飲めない分、食べることが好きですから、その意味でも現場の仕事に馴染むのは早かった。

辛かったのは配属になった翌年、都心に記録的なドカ雪が降った時でした。「ポイントがかえりません!」電車のレールを替えるのに支障をきたす緊急事態に、僕たちが出動しました。基本レールと電車を別の線路に導く動くレールの間に雪が詰まって、作動に問題が生じている。ポイントの雪を除去して、電車の運行の遅れを最低限に食い止めなければならない。

人の行き来がない線路は雪が積もり放題で、腰あたりまで雪に埋もれながら、スコップややかんのお湯をかけて雪を溶かしたり、レールとレールの間に積もった雪を小さなヘラでかき出したり。一箇所の作業が終わると、「早く次のポイントもお願いします!」と、無線で連絡が入ってくる。24時間寝ないで対応しました。体力的にきつくかった。

鉄道会社ってこんなにキツイんだ、俺やっていけるかな、会社辞めようかな……って想いが、頭をよぎりました。

●ちょっとトイレ…

それでも他の通信区から応援に駆けつけてくれて、電車を運行させるためにみんなが力を合わせることの大事さを痛感しました。作業が一段落して、やっと詰所に戻った時は大鍋にカレーが出来上がっていて…あのカレーはうまかった。でも僕はお腹が弱くて。疲れが重なったのか、あの時もお腹をこわした覚えがあります。

金沢文庫通信区で10ヶ月間勤務して、次に乗車区に異動し、京浜急行の車掌の見習いを3ヶ月間やりましたが、車掌は乗務時間が長い。その間、緊張もあってお腹の弱い僕は腹痛を起こしがちになる。

「先輩、すみません、ちょっと…」

「また、トイレかよ」

「すみません、以後気をつけます」

腹を抑えながら、同乗している先輩に頭を下げて途中下車をして。これではいけないと病院に通って、腹痛に効く強めの薬を出してもらったんですが。

車掌、杉山さんの失敗談は後編へ続く。

取材・文/根岸康雄