11月16日
「いいね、森下さん、今3時15分だから、6時15分にここで待ち合わせよう。3時間あれば色々と見て回れるでしょう」私と森下さんは那覇の大繁華街、国際通りのど真ん中の「てんぷすバス停」の前にいた。国際通りは外国人や修学旅行の生徒等々で溢れかえるような人混みだ。
昨日はレンタカーを返す日だったので少し遠出をしようと、那覇市の中心部から十数キロ離れたアメリカ村を観光した。メキシコ風の具材をご飯の上に乗せ、トマトベースのサルサをかけて食べる沖縄の料理のタコライスを味わったが、オシャレなショップが並ぶ観光地より、人が溢れる雑踏のほうが彼の好みなのだ。
「自分の好きな言葉をプリントしてくれるお店が国際通りにあったんや」実は昨日、森下さんは1時間ほど国際通りを一人でショッピングした。時間がなかったので作れなかったが、オリジナルTシャツを作りたいという。そこで再びショッピングを満喫してもらおうと思った。困ったことがあっても、人がいるところなら誰かがなんとかしてくれる、森下さんは言語障害がありながらも大声で、人に頼む力がある。これまで何回も一人旅を経験している。だから、3時15分に国際通りの真ん中で彼と離れ時は何の心配もしていなかった。
10日間使ったレンタカーを返却し、私も私の旅行を楽しもうと、国際通りに近いモノレール安里駅の裏側の栄町市場を覗いた。入り組んだ細い路地に小さな飲み屋が密集し、私の大好きな栄養に満ちた場末の雰囲気だ。6、7人も入れば満席になる貝専門の飲み屋の暖簾をくぐり、オリオンビールとアサリと豆乳の豆腐、ホンビノスの吸い物等を食し、店を出ると待ち合わせの場所である国際通り、「てんぷすのバス停」を目指した。
午後6時5分到着。森下さん楽しんだろうか、通りに設置されたベンチに腰掛けた。6時15分、トイレにも時間がかかるのだから約束の時間通り来れなくてもしょうがない。6時30分、イライラは禁物だ、身障者の旅は万事ゆっくりと心に決めたじゃないか。午後6時45分、遅い、約束の時間から30分も過ぎている。この辺りからじっとベンチに座っていられなくなった。バス停の前に立ち、次々に押し寄せてくる国際通りの人波の彼方に目をやっている。
午後7時、何かあったのかもしれない……、私は先日まで一緒に旅し、東京に戻った元編集者のAさんに電話し、事態を相談した。「待つ以外にないな」「そうだ、待つ以外にないよ」私は彼の言葉を反芻した。午後7時15分、約束の時間から1時間が経過した。彼は現れない。森下さんの滞在するホテルに電話した。ホテル側は私の電話番号を控えている、何かの時は連絡が入るはずだ。ホテルのスタッフはまだ彼が戻ってないことを私に告げた。私は彼が訪ねたであろう150mほど先のTシャツ店に向かった。「身体障害者のお客さん?あっ来ましたよ、4時前でした。自分で考えた言葉をプリントして4時半にはスタッフがてんぷすのバス停近くまで車椅子を引いていきました」4時半過ぎから消息が途絶えた、彼は行方不明だ。
午後7時45分、約束の時間から1時間半経過、「エマージェンシーだ、彼だって俺と連絡が取れなかったら、心配した俺がどんな行動に移るか、わかっているはずだ」「待てないか」「万一のことがあったらどうする?」「警察か」「その前に彼が入所している施設だ」それはAさんとの電話での会話だ。だが、「ちょっと待てよ」私は自分で自分の言葉を否定した。
仮に私が警察に通報したら、大ごとになる可能性がある。警察は組織を使い全力で彼を探すと同時に、彼の入居する施設に連絡を取ることになる。これまで何度も経験があるとはいえ、重度身障者を一人旅させたことを叱責されかねない。そんな事態に陥れば、彼は二度と一人旅などできなくなるかもしれないのだ。
午後7時55分、明らかに私はテンパっている。究極に近い状態の追い込まれるとテンパる癖があることを久しぶりに自覚している。“バカ!落ち着け”自分に言い聞かせ、頭の中を整理する。そして、ホテルに電話した。「森下さん戻ってますか?彼、障害者なので電話をしても受話器が取れません」「今スタッフが見てきます、根岸さんの携帯に折り返しますね」もし彼がホテルに戻ってなければ、私も腹を決めようと覚悟した。
午後8時、携帯電話が鳴る。ホテルからだ。「森下様、お戻りになられているようですよ」国際通りのてんぷすバス停からホテルまでは10分。早足で急いだ。フロントのスタッフが「森下様、30分ほど前、女子学生たちと一緒に賑やかに戻ってまいりました」と声をかける。このホテルはルームキーがないとエレベーターに乗れない仕組みだ。女性スタッフと一緒に部屋に入ると、彼は床の上に寝転がり、パンツを10㎝ほど下げ全身を芋虫のように動かしている。
「森下さんよ!」私の言葉がきつくなった。「俺がどれだけ心配しているか、わかんないのかよ!」早速、森下さんと出会えたことをAさんに連絡する。「大丈夫だよ、あのおっさん、殺されても死なないよ」とAさん。「お前はそういうけどよ、俺は現場にいるんだぜ。連れの身障者が繁華街の真ん中で2時間近く行方不明になったら、どんな気持ちになるか、俺はもう…」私は言葉に詰まった、頭を抱えた。森下さんと再び会えてよかった。
「ごめんなさい、ごめんなさい」床の上で体をバタつかせ、そう何度か言葉にした後、彼は泣き出した。言語障害のある彼は高ぶった感情を言葉にできない。涙を流し、号泣して自分の気持ちを伝えるごとしかできない。
なぜ、森下さんは行方不明になったのか、その顛末は次回のブログで、詳しく。