あなたの知らない若手社員のホンネ~厚生労働省 東京労働局/永田真梨子さん(33才、入省3年目)~
若手社員のモチベーションへの理解は、中間管理職にとって職場の人間関係を良好に保つ上で必須だ。若手の読者も入社3〜4年目の勤め人の働きぶりは興味があるに違いない。バラエティーに富んだ職種を紹介してきたこの企画、今回は公務員専門職といささか特殊だ。労働基準監督署の監督官という職業である。
シリーズ35回は厚生労働省 東京労働局 中央労働基準監督署 第一方面 労働基準監督官 永田真梨子さん(33)。労働基準法(以下・労基法)は労働者の保護を目的として、労働条件の最低基準を定めた法律。その労基法を施行・執行するのが労働基準監督署(以下・労基署)。監督官は労基法が遵守されているか、監視し取り締まるのが監督官の役割である。
学生時代から幾多のアルバイトを経験し、紆余曲折を経て、30才で監督官になった永田さん。新卒の監督官とは一味違う働きぶりである。
労働災害を無くす努力を
実家は埼玉で製造業を営んでいまして。私が幼い頃に工場で、従業員が事故で指を落とす労災に見舞われた記憶があります。工場長になったばかりの父は、そのショックで突発性の難聴を患ってしまった。その経験から労災をなくしたいという思いが私の根底にありました。
大学卒後はロースクールに3年間通い、主に労働法を学び弁護士を目指しましたが、試験はうまくいかずに、その間に結婚をして。労基署の監督官の受験資格は30才までです。私自身、大学時代も結婚してからも、ランドセルの縫製やホテルのバックヤード、お中元の入力、テレホンアポインター等々、短期のアルバイトを数多く経験しています。
多くの人が人生の半分近くを仕事に費やすわけで、いろんな仕事を通してたくさんの人と話す機会を持ちたいと、監督官を選んだわけです。
労基署は全国に転勤がある職種で、私は監督官になって奈良県に単身赴任し3年間、現場の勤務に携わりました。私がなくしたいと思っている労災の事案では、丸ノコ盤といって材料を切断する電動工具で、指を切断する労災を何件か引き起こしている町工場の経営者を、労基署に呼んで事情を聞いたことがありました。
「従業員の手が刃に接触しないよう、丸ノコ盤に安全カバーをつけるように指導したじゃないですか」
「安全カバーを付けたり外したりしてたんじゃ、仕事がやりにくいって職人が勝手に外したんだよ」
社長も昔の職人気質の人間です。一人前の職人になるためには、指にけがをするぐらいのことがあってもしょうがないと思っているところもある。
「でも、安全カバーを付けていれば事故は防げたことは明白ですよ」
「……」
「今回の件は労働安全衛生法違反で送検することになります」
送検は私たち監督官が強制力を発揮できる唯一の処分で、最高で罰金30万円が課せられます。
「ちゃんと『安全カバーを付けてくれ、刃に指が当たったら、うちも困るんだよ』と、従業員教育を徹底してくださいよ」
何回も話を重ねると、そんな感じの雰囲気になりました。
経営者も従業員に怪我して欲しくない。指は命と関係ないと言っても、労災被害に遭われた方は少なからず人生が変わっていくわけで。送検という形になって、「わかりました。刃が付いている機械は安全カバーをつけるように、従業員に周知徹底しますわ」と言ってくれました。
社長は送検され裁判で有罪になったのですが、後日、定期的な監督でその工場を訪れたら、人情味のある土地柄なのか、社長は笑顔で私を迎えてくれて。工場内の丸ノコ盤のすべてに、新しい安全カバーが付いていたのを見て、私の思いが通じたと人知れず達成感に満たされました。
企業へ出向く際も原則一人で
全国に企業は約400万ありますが、なにせ労基署の監督官は約3000人足らずですから、
「どうせ、うちの会社に労基署の人間は来ないよと思われては困る。臆することなく監督に行ってこい!」と、上司には言われていました。監督に出向く企業は署で決め分担しますが、近年問題の印刷工場や石綿を含む建材を使った建物の解体工事現場、粉塵の問題やマンガン等を使う化学工場や鋳物工場等も対象となります。
企業に監督に行く時は原則、私一人です。工場の責任者は、30才そこそこの自分の娘のような監督官に、いろいろ言われるのは癪にさわるのでしょう。私も幾多のアルバイトを経験し30才で監督官に任命されましたから、円滑に話を進める術はそれなりに身に付いています。
「調査に来ました」と社内に通されて、相手に嫌な顔をされたら、「創業はいつなんですか」「はー歴史がある会社なんですね」「社名の由来は?」「ああそうなんですか」とか。新聞はよく目を通して時事ネタも織り交ぜたりして。
会社の人と一緒に工場の中を見回るのですが、その場で言わないと、何が問題なのかわかりませんので。「ちょっとここは直してもらわないといけないですね」とか言いながら。マンガン等の化学部質を扱う工場なら、労基法に沿って「従業員の方の健康診断は定期的に行ってください」、粉塵が舞っている現場なら、「ちゃんとマスクを着用してくださいね」「研磨機に接触予防装置は付いていますか?」
化学物質を使っている場合は、工場内に表示をしなければならないことを指摘したり。一通り見て回り後日、改善を促す点を文書にして、参考資料を添えて送ります。
「うちの業界を100%わかっていないのに、何言ってんだ!?」
時にはそう声を荒げる人もいます。
「すべての職種について100%わかるわけではないですけど、私たちは法律を守ってもらいたくてお伺いするわけで……」
「何も知らないクセして来やがって!」
私は素直で(笑)、嫌なことを言われると顔に出るので、その点注意していますが、その場で言い合っても何も解決しません。
「では一度持ち帰って、専門の職員に確認してみますね」と。相手も私一人の意見なのではないかという疑いがある。そこで再度その会社を訪問して、「安全衛生に詳しい職員に聞きましたし、やはり私と同じ意見でした。法令も確認しました」そう告げると、会社側も法律で決まっていることは守らなければいけないと、納得してくれ改善に取り組んでくれます。
私たち監督官の主な仕事は、このように会社に赴いて労基法の遵守を監督することと、労基署の窓口に来た人の相談対応なんですが――。
この労働基準監督署の窓口に来た人の対応が、また社会を映す鏡のようで、一筋縄ではいかない。人間臭いエピソードは後編で。
取材・文/根岸康雄
http://根岸康雄.yokohama