入社4年目の本音【前編】「『自宅で自分らしく死ねる、そういう世の中を作る』それに向かって全力を尽くしています」やまと診療所・中川裕美さん

あなたの知らない若手社員のホンネ~やまと診療所PA 中川裕美さん(26・入社4年目)

様々な現場で働く若手社員を紹介するこの企画、今回は在宅医療PA(Physiccian Assistant・診療アシスタント)という仕事を紹介する。板橋区の「やまと診療所」(安井佑院長)の理念は、「自宅で自分らしく死ねる、そういう世の中を作る」。多死社会を迎える日本、家で自分らしく最期を迎えるための支えを担うのが、やまと診療所である。現在、常勤非常勤合わせ医師は約30名、担当する患者数は約750名。

PAは医師の在宅医療に同行し、患者や家族とのコミュニケーションを通して、一緒に考え、寄り添い、患者がより安定して生活できる環境作りを手助けする。

シリーズ第60回 やまと診療所PA 中川裕美さん(26・入社4年目)。PAは在宅医療に関わる“医療人”だが、資格や学歴は一切、問われない。診療所内の育成プログラムにパスし上級者と認められれば、年収600万円も可能であるという。

号泣しながら「働きたいです!」

私は埼玉県大宮市出身です。商業高校を卒業し、母子家庭だったので就職を考えましたが、ヘルパーとして働く母が、「やりたいことがあったら、専門学校に行きなさい」と、言ってくれまして。医療事務の専門学校を出て総合病院の事務職に就きましたが、医師や看護師のように直接、患者さんに関わりたかった。病院を辞めて転職を考えた時に、ネットでやまと診療所の求人を見まして。“無資格の人でも、医療の現場で患者さんを支える仕事”という趣旨に惹かれました。

「やまとは末期癌の患者さんの看取りに力を入れている、自宅で最期を迎えたい人を支える」説明会でのそんな趣旨の話に、最期を家で迎えるのも選択肢の一つかなと。一次試験に受かると、在宅の患者さんの診察に同行しました。

その患者さんは一人暮らしのおばあちゃんで、介護ベッドと鼻からチューブで酸素を送る医療機器が、部屋を占領するように置かれていて、訪問した時はテレビを見ていた。「何か変わったことはありましたか」という医師やPAの問いかけは、“その生活に支障をきたすことがありますか”という意味で、「いいえ、何も変わったことはありませんよ」と、おばあちゃんはニコニコしていました。

娘さんと奥さんと暮らす、白血病のおじいちゃんの自宅を訪問した時は、「今日は天気がいい。いわし雲がきれいだ」とか、「お隣さんの田舎から送ってきた柿をもらったよ」とか、病気とは関係のない日常の会話で盛り上がって。

「今日、印象に残った患者さんは?」診療所に戻り、職員にそう聞かれた時、私は感情が高ぶって号泣してしまった。患者さんと関わりたい、コミュニケーションを通して、患者さんのお手伝いをしたい。そう思っていた私にとって、末期の患者さんを支えている現場を目にしたことは大きかった。

私がやりたいことはこれだ。「働きたいです!!」と、泣きながらはっきりと言いました。

日常的なPAの仕事

PAには二つの大きな仕事があります。一つは医師の仕事のアシスタント。もう一つは患者さんの意思決定の支援です。訪問診療は医師1名にPA2名が同行し一人は車の運転。もう一人は患者さんの生活を支えるヘルパー、訪問看護師、ケアマネージャー(ケアマネ)に電話等で連絡を取り、患者さんについて意思の疎通を図ります。

「こんにちはー」患者さんのお宅を訪問し、医師が患者さんと会話を交わす間に、診察バッグの中から診療に使う器具を出して。もう一人のPAは、診療レポートとしてケアマネに送るため、医師と患者さんが交わす会話を一字一句iPadに打ち込みます。

診療が一段落したタイミングで、PAは医師が処方した薬の補足説明をしたり。「顔色が優れないようですね」とか、気づいたことをお声がけして、患者さんや家族の聞き役になります。聞き知ったことで必要な情報は、患者さんを支える関係者に伝えます。

患者さんとの関わり方に、成功や失敗の基準はないのですが、PAとして関わりが不十分だったと感じた経験はあります。PAになって1年目のことでした。60代のその患者さんは末期のガンで、奥さんと大学生の子供さんと3人家族でした。

「私、すごく後悔しているんです」

訪問診療に訪れたある日のことです。

もうそろそろ、お迎えだな……私はそう直感しました。この時点で自宅か病院か、患者さんがどこで最期を迎えるかのお話し合いができていませんでした。本人から意思を聞ける状態ではなかったので、私は家族に尋ねようと思った。ところが現場でそのことを口にできず、診療所に戻って来て。

「今から電話で家族に聞くほうがいいでしょうか」私のそんな相談に上司は、「今電話をするか、明日にするか、キミの判断に任せるよ」と。時計の針は午後8時頃を指している。

最期をどこで迎えるか、夜の時間にいきなり聞くより明日の朝、電話をしようと決めて私は帰宅したんです。

ところがその日の深夜、家族から電話があり、患者さんが亡くなられたと。“介助している最中に亡くなられて、家族はパニックになった”翌朝、カルテのそんな記述を見て、私もパニックになりました。

なんであの夜、電話をしなかったのだろう……。

「私すごく後悔しているんです」上司に訴えるように言うと、「中川さんが電話をしたら、何かが変わったの?」と。

でも、私が電話をしていたら、最期の瞬間を迎えた家族の気持ちは違っていたかもしれない。家族がパニックになって診療所に電話をしてきたという、カルテの記載がとても引っかかっていて。私が患者さんの最期について家族に踏み込んだ話をしていれば、肉親の死を前にして、最期の時間をもっと大切にできたのではないか。

PAとして寄り添い、支援した患者を中川裕美さんはこれまで、100人近く看取りに関わっている。“医療人”として患者にどう寄り添い、関わっていったらいいのか、模索するエピソードは後半も続く。

取材・文/根岸康雄
http://根岸康雄.yokohama