【後編】悲しみも喜びも、ゆっくりと受け止めていく、オランウータンに学ぶ生き方

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動物のことを知りたい。大好きな動物園の様々な生き物は、どのように飼われているのだろうか。日々、動物に接する動物園の飼育員さんに、じっくりとお話を聞くこの連載。動物園の動物の逸話を教えてもらおうというわけである。

今年開園60周年を迎えた東京都日野市の多摩動物公園。上野動物園の約4倍という木々に囲まれた園内は文字通り自然公園である。そんな中で柵を極力使わない展示は、野生に近い動物の姿を目にすることができる。

シリーズ11回はボルネオオランウータン(以下・オランウータン)である。オランウータンは大型霊長類の中で唯一、アジアに生息する動物。体長はオスが約1m、メスが約80㎝。全身は赤褐色や褐色の長くて粗い体毛に覆われる。オランウータンとはマレー語で森の人という意味だ。東南アジアの熱帯雨林に単独で生活する。

飼育員の野村星矢さん(27)は、2017年からオランウータンの飼育を担当。オランウータンたちは頭が良いので各個体の意思を尊重し、ゆっくりと接する飼育を心がけている。子供の自立は6〜7才。それまで母親は子供につきってきりで面倒をみる。子供の自立まで母親の発情はなく、出産の間隔は哺乳類で最長である。

ロキの誕生

賢いキキが、二頭目となる次男のロキを出産したのは、昨年6月末でした。

出産が近いことはわかっていましたが、朝出勤したら、キキの獣舎が血だらけで。キキは布を被り背中を向け動かない。すぐに獣医に連絡をして、心配しながらしばらく様子を見ていると、僕たちの方を向いたキキは小脇に赤ちゃんを抱えていた。

キキの次男のロキは発育が芳しくなく、僕ら飼育員は心配しています。母乳を吸う回数が少なく体も小さいので、昨年の秋から補助的にミルクを与えていて。キキは赤ちゃんを抱いて近づいてくれるので、格子越しにロキに哺乳瓶でミルクを飲ませています。通常は4ヶ月ほどではえる歯も成長が遅く、ようやく出産から161目に前歯が出てきて。徐々に食べ物から栄養が取れるようになりました。

ロキの出産を目撃し学習したリキ(6才)は、母親のキキと暮らしていますが、赤ちゃんの誕生でリキへの母親の態度が変化した。以前は優しいお母さんでしたが、今はリキがロキのエサを取ると、ギヤっと叱りつける。キキの怒り方がきつくなり、リキが母親の寝室から離れる日が近いと感じています。

おバカキャラのリキと、地面が嫌いなバレンタイン

いつもハンモッグで寝ているリキは、よく言えば無邪気、悪く言えばおバカキャラで。横浜ズーラシアから来たメスのバレンタインに近づき噛まれ出血した。痛い目にあったらふつうは近づかないのに、懲りずに近づき2、3回噛まれて。バレンタインが根負けして、リキとはじゃれて遊ぶ仲良しになりました。

86年生まれのバレンタインは、イギリスの動物園で人の手で育てられため、これまで出産を2度経験しましたが、子育てができませんでした。多摩動物公園には国内で飼育されているオランータンの約3分の1の9頭が飼育されています。子育て中の個体を間近で見て学習することができる。そのために16年12月に来園しました。

野生のオランウータンは樹上で生活しますが、バレンタインは大の苦手にしているのが地面。野外の放飼場に出られるようになったある日、高いヤグラに登ったのはいいのですが、嫌いな地面に降りることができなくなってしまい、一晩中野外にいた。翌朝、何とか室内に戻ってきましたが、「バレンタインは泣いていた。初めてオランウータンの涙を見た。頑張って戻ってきたんだね」と、先輩はしみじみと言っていました。

バレンタインは3月下旬に横浜ズーラシアに戻りましたが、子供を産み子育てしてくれたら、多摩に来たことが成功につながったと僕らも嬉しいです。

(公財)東京動物園協会

人工保育はわがまま個体

バレンタインと一緒に横浜ズーラシアから来たメスのチェリア(4才)は、育児ができなかったバレンタインの子で、人工保育で2年間育った経過があります。チェリアも将来的なことを考え、子育てを学ぶ目的で多摩動物公園に来ましたが、人がミルクを与えた人工保育の個体は、我がままになりがちです。

エサでも自分が要求したものがすぐに手に入らないと、癇癪を起こしてギャーギャー鳴きわめく。また、チェリアの母親代わりのジュリーがそれを戒めればいいのですが、これが過保護で。「訴えてるじゃないの。遅いよ!早くあげなさいよ!」という感じで、僕ら飼育員にツバを吐いてくるんですよ。

チェリアは当分、多摩で飼育しますから、「甘やかしすぎないようにしよう」と、僕ら飼育員は話し合って。チェリア鳴きわめいても少し待たせるようにしています。

ボルネオ(34才)と高齢のキュー(推定・50才)は、頰が膨張したようなフランジという強さの証を持つオスのオランウータンです。リキやロキの父親のボルネオは、見かけによらず引きこもり気味の個体で。天気のいい日は屋外の放飼場に出しますが、30分も経つと、「帰りたいよ」とばかり、室内へ戻る通路の出入り口に張り付き、格子をガタガタ揺らします。

「まだ30分しか経ってないよ。お客さんのために頑張ろうよ」と声をかけますが、イライラすると持っている布を引き裂いたりするので、室内の展示場に移します。室内の展示場でもボルネオは壁に張り付くように、茶色い背中を向けていますから、お客さんから「セミ!」とか、言われていて。

その点、キューは愛想がある。室内展示場ではお客さんに近づき、顔見知りの常連さんにはガラス越しにキスをしたり。ところがこのキューにも意外な面があって。キューはメスに対しては乱暴者なんです。メスを木から引きずり下ろして交尾したりする。だからボルネオの方が年齢も若いし、メスには人気があります。

ジプシーとの突然の別れ

最後にジプシーのことを話しましょう。ボルネオ島で親とはぐれ保護されたメスのジプシーは、58年の開園当時から多摩動物公園いる人気者のオランウータンでした。優しいオランウータンで以前は隣にウサギを置いて飼ったことがあるんですが、ジプシーはウサギにエサをあげていたという。

お客さんが好きで、話しかけるとこちらのことがわかったような表情をする。オランウータンが手に持つ布は、夏の日よけと冬の防寒に使いますが、ジプシーはカラフルな色の布が好きでした。ジプシーは絵を描いたり、ハーモニカを吹いたりしていた時期もあって。お客さんからの寄贈写真は数え切れません。

僕がオランウータンを担当して、半年ほどした頃でした。推定62才と高齢のジプシーは歯が悪く、食べづらそうでしたけど、前の日まで元気だった。歯の状態を確認するために麻酔をかけたのですが、そのまま目を開くことはなかったのです。突然のお別れでした。

悲しみも喜びも、ゆっくりと受け止めていく――。僕はどちらかというとマイペースですが、オランウータンの飼育を通して、以前に増して、何に対してもゆっくりと接する姿勢が、鍛えられたのかなという気がしています。

取材・文/根岸康雄
http://根岸康雄.yokohama